日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
The diary of young girl 「アンネの日記」
2008年04月25日 (金) | 編集 |
annes daialy

香取が海外を旅行したりする時、必ず探す本。
私の人生のバイブルといつも言っているのですが「アンネの日記」です。

今日はひとりで少し遠出しました。(私にとって)
キッチン雑貨を見に行ったのですが、そのお隣の本屋さんに立ち寄りました。

結構有名な本屋さんの様で、本屋さんの中にカフェもあり、ベンチもいっぱいあって、ゆっくりと本を選べる。
そんな素敵な本屋さんを発見。

「アンネの日記」を探すのはいつも、ちょっと大変です。
特に英語圏でない国はむずかしいです。(だってコトバがわかんないですから。だいいち、その国のタイトルさえもわかりません。
唯一頼りにするのは彼女の写真です。
たぶん中学生になったころのアンネの写真。(隠れ家に入ってからは写真なんて撮っていませんからね。)

彼女のお父さん、オットーフランクさんは、ユダヤ系のドイツ人で、第一次世界大戦では勲章をもらうほどの方だったそうです。なんでも、秘密警察によって隠れ家を見つけられた時、オットー氏の持ち物の中から、その勲章をナチスがめざとく見つけ、
「もし、何かあったらその勲章を見せてくださいね。」と言ったそうです。

やり手のオットーさんは自分で貿易会社を設立し、社会の情勢にも大変敏感だったので、フランクフルトに住んでいた一家は戦争がひどくなる随分前に、オランダに引っ越しています。
ドイツ語で話していた一家が、ある日からダッチを話さなければならない。アンネは最初とても戸惑ったそうです。

隠れ家の用意も着々と進められていて、アンネのお姉ちゃんマルゴットに召集令状(って言うのかしら)が来たときには、すぐに引っ越すことができたようです。
それだけ賢く、世界のことに詳しいオットー氏は、家族の写真を撮るのが趣味でした。
たくさんたくさん撮っています。アンネの赤ちゃんの頃から。
8ミリの映像なんかも残されていたり、アンネのお母さんはドイツの良家の令嬢だったというし、きっと大変お金持ちの良識のある、、、アンネはそんな恵まれた家庭に育ちました。

隠れ家の中でも、ジャーナリストを目指していたアンネは、お父さんとフランス語のお勉強を毎日し、お姉ちゃんと一緒に色々な通信教育も受けていたようです。
もちろん、名前を変えて。
たぶん、彼らには未来があり夢があり、そこを出てもう一度太陽の光を浴びて、輝く人生を歩くことが想定されていたはずです。

香取はアメリカに来て、約1ヶ月です。
「歴史書」のコーナーに、意外にも色々な種類の「アンネの日記」がありました。もちろん、アメリカにはあると思っていました。これがアラブだとないわけです。なんといっても、アメリカは連合軍ですし、この近くにもシナゴークがあります。(ユダヤ教の教会です。)
マンハッタン辺りにいくと、独特な帽子をかぶったユダヤ系の方に会います。

アメリカはアンネ達ユダヤ系の人には英雄でしょう。
だけど、香取は思います。
まだ行ったことがないけれど、グラウンドゼロに立ったとしても思います。

あの9,11のテロのとき、アフガニスタンをめちゃめちゃにする必要があったのか。
化学兵器を見つけるという理由でイラクをあんな風にめちゃくちゃにする必要が合ったのか、、、と。
こんなにも情報網の発達したアメリカが、あのテロを回避できなかった訳がない。

パレスチナ人やアフガニスタン人のお友達は、今どうしているんだろう。
みんなあの頃は、一生懸命英語の勉強をしていた。
そう、オットー氏と同じく、パレスチナの国を持たない私の友人は、一生懸命勉強をしていた。
アンネもそうだったけれど、国を持たないということは、「知識」や「学歴」が武器となる。第二次世界大戦の頃のユダヤ人がそうであったように、今、パレスチナの人たちはそうやってがんばってる。

どこの国でも、どんな宗教をもっていても、若い少年や少女にはひとりひとり夢があって、光り輝く未来があるものです。
その人の「命」だけではなく、夢も希望も「未来の姿」も奪い去ってしまう、、、それが戦争です。

ちゃんと読んだことはないんだけれど(爆!)「アンネの日記」を手にすると「平和」を手にした気持ちになるんだ。

まだ「大好き」とは思えないアメリカで、小さな「平和」を手にしたよ。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック