日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
クリスマスの約束
2006年12月29日 (金) | 編集 |
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「あぁ、、、なんか古くさ~~い昭和の匂いするわ。」
誰のサインかわかりますか?
初めて行ったオフコースコンサートでもらったサインです。
「Off Course Song is Love」と書いてあります。

あぁ、、、昨日の「クリスマスの約束」録画しておけばよかった。。。くっ。。

急に思い付いて、追記ありです。
今はもう「小田さん、小田さん」って思うこともなくなったけれど、香取がまだ十代の頃、今香取がジャニーズのみんなを想っているのと同じくらいオフコースが大好きでした。
十代で受験生のころだった、音大を目指して必死にピアノを弾いていた香取は、深夜放送のラジオで「秋の気配」を聴きました。洗練された美しいハーモニーでした。
「ぼくがあなたから離れて行く。。。」という、なんともちょっと自分中心な歌詞に惹かれました。

初めて行った京都会館第一ホールでのコンサートは、まだアコースティックギターをもった小田さんと鈴木さん中心のステージで、席もまばらに空いていました。(すごい見やすかった。)
心に残っているのは、ビージーズの「失われた愛の世界」のコピー。とってもきれいなハーモニーだった。本当に美しい歌声だった。
最初に買ったアルバム「FAIRWAY」しかもっていなかったから、会場で「セレクション」というアルバムを買った時に色紙をもらいました。
達筆な文字でしかも漢字で書かれている「小田和正」というサイン。
「かっこよくなんか書く必要ないんだ。」っていう小田さんの声が聞こえてきそうです。
僕らはかっこよさなんか追求してないんだよ。。。って。
十代の私からしたら、30代の小田さんはものすごく大人の男の人だった。
でも好きで、本当に好きで、小田さんのこと解りたいっていつも想っていました。
一生懸命に歌詞を読みました。どんな気持ちで、どんな心の中で小田さんはこの詩を書いたのかな。。。って。

オフコースのファンクラブは当時でまだ5000人しかいないような小さなファンクラブで、季節ごとに手書きの文字の季刊誌が送られて来ました。
その中には、鈴木さんや小田さんの手書きのエッセイも載せられていました。お二人の文字は本当に達筆で、さすが東工大や早稲田の院を出た人たちだ。。。と思わせられました。

例えば、「銀河鉄道999」の映画音楽を担当することになっていたオフコースが、その役割を当時、彗星のごとく世の中に出て来た「ゴダイゴ」と言うグループにもっていかれたときは、小田さん直筆の「お詫び」というお手紙が季刊誌に挟まれて届けられました。
小田さんはファンを大切にすると言う感じではなく、どちらかというと「黙ってついておいで」というように背中を向けて、鈴木さんとふたり歩いて行ってしまう感じがしたけれど、「お詫び」に書かれた気持ちは、いくらなんでも高校生の香取でも理解ができたものでした。

その後「愛を止めないで」という曲がやっとオリコン26位まで上がってきて(心配でよくチェックしていた。)それから、その冬「さよなら」が空前の大ヒットを遂げました。
ファン心理としては、高校のお昼の放送で「さよなら」がかかっちゃったりして、嬉しいのに寂しく想ったりしました。
こんなにも質の高い音楽性を持つオフコースがなぜ売れないのかと想っていたけれど、だけど寂しかった。
そして、コンサートのチケットを取るのがとっても大変になりました。

解散するっていう噂がずっとあって、たぶん鈴木さんは自分の力で「音楽の道」を歩きたかったんだろうな。。。と今になって想います。
音楽性よりも「人」を大切にする小田さん。(例えば、ベースの清水さんが加入するときは鈴木さんが猛反対したらしい。だけど、小田さんは彼の人間性をかっていた。)たしかに、後ろの3人、仁さんも松尾君もジローちゃんも小田さんにぴったりくっついていた。
鈴木さんは、きっと自由に自分の音楽をやりたかったのでしょう。

最後の武道館のコンサート「言葉にできない」で泣いてしまう小田さん。
香取はその涙の意味を後から知りました。
最後のコンサートに、バラの花がたくさんステージに投げられた。
その花の中で、小田さんは声をつまらせます。

何年もたって、ある番組で小田さんが言ってました。
「俺は、ヤスと一緒に歌えなくなるんなら、きっともう二度と歌うことはないんだと、あの時想ってたんだ。」
鈴木さんの曲より小田さんの曲が必ずヒットする。
人気だって小田さんの方が高い。。。高校に入るための塾で知り合ったと言うふたりは、ずっと小さいときから一緒に音楽をやってきたけれど、だけど鈴木さんにはやっぱり超えられないもどかしさや苛立ちがあっただろう。ビートルズのようにギャラのこととかもあったのか、、、色々と取りざたされました。

あの武道館コンサートで涙した小田さんの年齢に私がなった頃、やっと、あの時の小田さんの涙の理由を知りました。あわてて、昔の、、、解散する頃の季刊誌の小田さんの「ぼくから」を読み直しました。

「僕等はみんな知っています。あんなことがあった後はきっと、グッ!と前に進むのです。幾つも幾つもそういうことがありました。でも、そんな時は必ずいちばん辛い時です。オフコースはそういうグループです。だから、僕は"NEXT"がとても気に入ったのです。ただ、いつもNEXTだけで結論の出るものは、寧ろ少ないくらいでしょう。NEXTの次にNEXTがあってこそ、頑張ってゆけるのです。」
(オフコースファミリー季刊誌「秋の音楽会」57年秋の号「ぼくから(抜粋)」小田和正)
最後のアルバム、NEXTのレコーディング中の小田さんのメッセージです。
本当に子供だった私は、自分が小田さんのこと何にも理解していなかったことを、思い知らされました。
でも、きっと大人の小田さんの心の中は、小さかった私には計り知ることができなかったのでしょう。
あの時、解散するオフコースに私は、少なからず怒っていました。自分が置いてけぼりになる気持ちでした。
だけど、どれだけ小田さんがオフコースを愛し、鈴木さんを尊敬し、共にずっと一緒に歩きたかったことか。

昨日、「いじめ」をテーマにしたニュースを見てた。
最後に、ある小学校教員だった先生が率いるダンスチームが踊った。
「見てる人みんなを泣かせたる。」ってその先生は言ってたけれど、香取はなんだか何も感じなかったんだ。(翔ちゃんは伝わったって言ってたけどね。)
そしてチャンネルをかえた時、小田さんと松さんが「to U」を歌っているのを見た。

「愛、愛、本当の意味はわからない。愛、愛、だけど強くて」
この力強い歌詞を小田さんは淡々と歌い上げる。
その姿を見ながら、香取がずっと十代の頃大好きだった、音楽家としても詩人としても生き方も尊敬していた小田さんのことを、静かに思い出していました。

オフコースの当時のサインには必ず「Song is Love」と書かれていました。
小田さん、鈴木さんの大好きだった歌のタイトルです。

「クリスマスの約束」で多くのアーティストに尊敬されながら歌う小田さん。
今でも音楽と同じくらい「人」を大切にしてる小田さんの姿を再確認しました。
そして、ラスト曲が「僕等の街で」だったことも嬉しかった。
武道館は音が悪いからやらない、テレビには絶対に出ない、、だって、テレビでは本当の音楽は伝わらないだろう?って言っていた小田さんが、「KAT-TUNの5人はいいやつだったよ。」って自分のファンに言ってくれてる。

長いこと生きてると、なんだか幸せなことってあるんだね。

だから、死んじゃだめなんだよ。

SELECTION1973-78(紙ジャケット仕様) SELECTION1973-78(紙ジャケット仕様)
オフコース (2005/03/24)
東芝EMI

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このアルバムの1曲目「やさしさにさようなら」が香取は十代の頃から、そして今まで大大大好きです。
コメント
この記事へのコメント
TOSHIBA EMI
色紙の隅にTOSHIBAEMIの文字が。。。懐かしいです。オフコースの「さよなら」は中学卒業の頃。。あのころは、アリスに熱を上げておりました。new musicが世間に出てきた頃。アリスも当時はTOSHIBA EMIでした。アリスはテレビにもラジオにもよくでていまいた。チンペイさんのおかげで、関西弁をしることができました。彼はのちにソロとしてヒットをとばしてべーやんは演歌の世界にすすんでいるし、きんちゃんはやきとりやさんだし。。なんかもう過去のグループになってしまっています。震災復興のためにふたたび結成した時期がありましたが懐かしいという感じはしませんでした。オフコースの小田さんは、チューリップの財津さんににてるな~なんて思っていました。小田さんのファンは結構多かった。
ほんと。。すごく懐かしい。今爆睡娘はその頃の私とおなじ中学3年。お笑い命です。
2006/12/31(Sun) 19:04 | URL  | rinkyohhen #-[ 編集]
東芝EMIですよ。
>rinkyohhenさん
そうそう、かつてはチューリップ、紙ふうせん、ハイファイセット、、アリス、もちろんオフコース。
たくさんのアーティストを抱えていた会社でした。
たしか、もう幕を下ろしたんですよね。ついこの間。
その時も、昔のことを思い出していました。

アリス。。。香取は完全関西人の中高生の頃、よく「ヤンタン(ヤングタウン)」のチンペイさんがパーソナリティのとき聴いていました。
もう、夜中なのに笑いが止まらなくて声を殺して笑っていました。めっちゃおもしろかった。

小田さんと財津さんは、とっても仲良しなんですよ。
そういえば、たしかチューリップの「虹とスニーカーの頃」だったかな、先にヒットしちゃって、、あの時小田さんは絶対に怒ってるだろうな。。。って当時、高校生の香取は思っていました。

だから、オフコースは「自分たちの音楽」を大切にしてくれる場所でしか、その姿を見せなかった。
「さよなら」が売れた時も絶対に、絶対にテレビに出なかった。そんなこだわりがあったオフコースのベスト盤が近頃売れてて、、、これは、どんな人が買うのかな~って香取は時々手に取って思っています。
そして、その曲名の文字がよく見えず(老眼じゃ)離して見たり。。。頼むわ。せめて小田さんは見やすく大きな文字にしくださいと思いながら。

死ぬまでに、たった1回でいいので、小田さんと鈴木さんのふたり並んで歌う姿が見たいです。
2007/01/02(Tue) 18:10 | URL  | 香取 #-[ 編集]
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