日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
日本人として
2006年12月15日 (金) | 編集 |
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「かとりんが、また週末のバカ買いしはったわ。」
「みてみ、きんちゃんがびっくりして星目になってるやん。」
「きんちゃん、しっかりしぃ。いつものことやねんから。」
「うれうれ、、、うれしいです。このマフラー。暖かいでんがなまんがな。」
「だから、、、、きんちゃん。。。その関西弁は。。。。。」

クリスマスカードをいっぱい買った。もう安売りになってた。
今日、クラスの男の子が「おれ、みんなの住所知らないから年賀状だせないかもしれない。」という話をしていました。
もう年賀状の季節です。

香取はすかさず言いました。
「あ、、、みんな、ごめん。私ね、年賀状出さない主義だから。」
ええ~~~!!ってみんなは驚きました。

ちょっぴり日本を離れたときに、香取は色々なことを考えました。
日本の教育って、どうなんだろうか?
日本人って?って。
その間に、「きみがよ」を学校で歌わなければいけないという法律もできました。

昨日「教育基本法が改正(改悪)」されました。
「美しい郷土を愛する心を育てる」のですって。私達は。
それは、学校で育てるものなんですか?
それを評価する必要があるんですか?

私は、外から日本を見た時、色んな想いを持ちました。
日本人って、「みんな同じ」が好きなんだな。。。とか、「管理されるのが好きなんだな。」とか、戦後民主主義になった日本は、その民主主義をちょっと間違ってとらえているのかな?とも思います。
例えば、その通りがみんなイルミネーションを飾ったら、うちも飾らなければならないとか。。。ね。みんなが持ってるから買うとか。
もちろん私だってそういう日本人である部分はいっぱいです。
でも、これって変だなと思ったのが、外から日本を見た時でした。

例えば、大人はみんな「いい子」って子供達のこと言うけれど、「いい子」なんて「大人にとって都合のいい子」なだけなんだな。。。とか。
そう。そう考えると、香取の今のクラスは学校の中でも突出している激しいクラスで、香取は同僚の方に話しかけられると、必ず「ごめんなさい。」って先にあやまっちゃうような、、、。
言うこときかないし、、、想い通りにならないし、、、。
だけど、骨があるぞって香取は思ってる。
日本人として、こいつら骨のあるやつらだ。人の想い通りになんてならないんだって。

年賀状を書かなければいけないって、一体誰がいつ決めたのさ。
日本の外側にいて、お正月もクリスマスもない国で、香取は「もう年賀状は書かない。」って決めたんだ。
(でも、かっこいいから欧米の人の真似してクリスマスカード書いてたりする。)
今年はいつなのかわからないけれど、世界には「イード」というモスリムのお祝いもあれば、「ハヌカ」というユダヤ教のお祝いもあるし、中国の人達は2月1日に「Happy New Year!」って言ってくれたよ。

日本の文化を捨てろということじゃないけれど、選んでいいんだと思ってる。
「国を好きかどうか」は、母国であっても選んでいいんだと思う。
外国にいるとき、うちの家族は「日本に誇りを持った。」って言うし、逆に私は「日本はそんなに素晴らしい国じゃない。」って思った。
誰にだって色々な感情があるように、誰にだって好き嫌いがあるように、自分の国を「嫌い」だっていいんだと思う。
どうして「必ず愛さなければならないのか。」しかも、それをなぜ学校で教え、評価しなければならないのか。
それを一体どうやってはかるのか。
人の心をどうやってはかるのか。

私は神様じゃないから、子供たちの心の中なんて、はかれないよ。

おそらく、教師たちもお互いをはかって行くんだよ。これから。
そうやって進んで行く教育の未来に、一体どんな世界が待っているのか。
香取は薄ら寒いと思っています。

「ひとつの心」にしようとするこの国の考え方が。
国中の子供たちの心を、同じ物差しではかることが。

そうなんだ。
「行列の中を歩いていると自分がどこを歩いているのかわからなくなる。」
(土田英生氏脚本の「燕のいる駅」の台詞です。)
。。。。私は「教師として、日本人として」、そんな未来を創りあげようとすることの、その片棒を担ぎたくないんだよ。

ちなみに、このクリスマスカードは、香取の大嫌いな「皆勤賞」の代わりに子供たちにあげるカード達です。
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