日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
「ありがとう」
2006年10月28日 (土) | 編集 |
20061028174129.jpg

「ほら、寝たらあかんやん。キャッツやで。」
なんだか忙しい中、それでもやっぱり初日に行きたかったんだ。
「木更津キャッツアイ~ワールドシリーズ」
嬉しかったのは、やっぱりエンディングが「a day in our life」だったこと。
タイトルバックに「嵐」って出たとき、夏コンやら色んな場面で歌ったこの歌のこと思い出して、やっぱり嬉しかった。

香取の今日のもうひとつの「ありがとう」は。。。。
下の記事のコメントのお返事にも書いたんだけれど、もう一度記事として書いておこうと思います。

今の学校、、、香取は2度目だ。
香取は実は、正式な教員じゃないんだ。家族がアラブに勤務する時に辞めちゃったから。
だから、帰国してからは市の教育委員会からオファーが来たらお仕事をする、まぁ1年契約の仕事です。(そう言いつつもう6年もお仕事してます。)
だから2度目に、自分の意志で、元の学校に戻ってくることだってできたんだ。

どうして香取がここに戻って来たのか。
この学校が、次の3月に終わるからだ。
この学校に来て出会った子供たち。今は中学生だけれど、その子達に出会ったことで、またこの仕事をやりたいって思った。
だから、この学校の最後の姿を香取はしっかり見届けたかった。

そして、この学校の校歌を最後に弾きたかったんだ。
だって、香取の学校の校歌は「山田耕筰作曲、北原白秋作詞」というものすご曲なんだ。
このふたりの校歌の最後の伴奏を、「私が弾きたい」って思ったから香取はここに戻って来た。

今日、独立したお友達の美容室に行って来た。
12時からの予約だったんだけど、私の前に飛び込みの年配の女性がシャンプーセットしてもらってた。よくよく聞くと「明日の式典のために、札幌から来たんです。」ってお話ししてる。
「もしかしたら、○○小学校ですか?」と尋ねてみた。
。。。香取の学校だった。
その方は、3月に閉校する母校に「さようなら」を言いに、わざわざ遠くから、しかも少し足が痛いそうだ。。。でも来られたんだ。
昨日、子供達と一生懸命並べた500この椅子のどこかに座る方なんだよ。

戦争中は空襲をうけて、子供達や先生が亡くなったこと、そのときの様子もその方は教えて下さった。
そう、明日の式典では子供達は「学校の歴史」について発表する。
その内容と同じことを、その年配の女性は体験されたんだ。

そして、その空襲で亡くなられた先生。
その方は「校歌」を初めてピアノで演奏された音楽の先生なんだ。

明日。
その女性を含め500人におよぶ同窓生の皆さん、そしてここで働いていた歴代の先生方みんなで、最後の「校歌」を歌う。
香取はその最後の伴奏者だ。

きっと理由があるんだろう。
開店のお祝いを届けに行った香取が、新しい美容室でその女性に出会ったこと。
遠くから来られる母校を愛する方達の「想い」。

ほんとは、ここ数週間辛かった。
この式典の準備で、本当に辛かった。朝も夜の薬を飲み続けて、なんとか明日を迎える。
子供たちとの色んなこともあった。
この「記念式典」という行事に対する想いは、先生、子供たち、地域の方達、、、さまざまだったから、だから本当に大変だったんだ。
途中、香取は「もう式典なんてどうなったっていい!!」って言ってるときもあった。
もう投げ出したかった。

だけど、今日はその方に香取は言えた。
「明日、一緒に校歌を歌って下さいね。」って。
こうやって、出会った奇跡をやっぱり感謝したいと思う。
これもきっと神様のくれた贈り物だと思った。
だから、今日も「ありがとう」。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック