日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
the answer is blowin' in the wind.
2019年05月02日 (木) | 編集 |
平成だとか令和だとか、どこがどう変わったわけでもないけれど、

平成の最後にとても面白い再会がありました。
いえ、実際はまだ会ってないんだけれど、きっと会えるんです。

話はもう1990年代に遡ります。
当時、私は、6年生を担任していました。そのクラスには、教室に入れない女の子がいました。
クラス替えになった当初は頑張って入っていたのですが、いつしかだんだん学校に来るのが遅くなり、
お迎えに行っても来れない、そういう日々が続きました。

当時はまだ「不登校」という言葉すらなかった時代で、そういう子供達を「登校拒否」と言っていました。
今でこそ、学校に来れなくなったら「その子自身の抱えている問題や困っていること」を探っていくことが多くなってきましたが、当時、数週間、そして数ヶ月にわたって学校に来ることのできない彼女を、地元の機関に相談すると

「それはクラスにいじめがあるから。」
という答えが返ってきました。

学校の管理職からは、「なんとか彼女を登校させろ、教室に入れて欲しい。」ということを言われ続けました。もちろん、私は疲弊していくし、当時の学年主任の先生は随分と管理職の方たちと戦ってもくれました。
時には、降りてきた決断(例えば、一人でお迎えに行ったり、休み時間ごとに3階から1階の保健室に行くのは厳しい、なんとか誰か助けて欲しいと相談したりしていた。)に絶望して、私は勤務の途中で怒りまくり、荷物をまとめて帰るみたいなことすらありました。

毎日のように彼女のお家に寄って帰る日々でした。
彼女が唯一入ることのできる特別教室と自分の教室を行ったり来たりする、、、そういう生活をしているとどうなるか、、、他の子供達が崩れていく。。。そういうことも起こりました。

卒業生なので、卒業アルバムを作るのですが、教室に入れない彼女と一緒に教室写真を撮ることができない。
どこならみんなと一緒に過ごせる?と尋ねると、彼女は体育館と言ったんだと思う。
そのことを当時の子供達に相談したら、「じゃあ、体育館でピラミッド、みんなでつくろうよ。」と言ってくれた。。。のか、私が言ったのか。
これは、ピンチじゃないんだ、チャンスなんだ。人と違う写真だっていいよ。
他のクラスと違ったっていいじゃない?
そんな風に説得したんだったか、子供達が受け入れてくれたのか。

結局、私は、その年に退職することを決断しました。
もう、私は、子供達の前に立つにはふさわしくないんだと思いました。
私が尊敬する灰谷健次郎先生の本を読み返し、彼も同じような年齢で退職していることを知り
「先生、もういいですか?」
そう問いながら、決心した夜更けのことも思い出します。

「これはベルリンの壁を崩すくらい大きなことだ。」と管理職に言われながら、お隣の市にあった不登校の子どもたちの教室の門を叩いた時、そこの先生に
「香取先生、先生が悪いんじゃないよ。先生は自分を責めたらダメだよ。」
と言われたこと、今でも覚えています。
涙がもうちょっとでこぼれそうでした。

私は、その後、退職をして海外に住むことになり、お仕事をしないでずっと自分に向き合っていました。ずっと。
私はどうすればよかったんだろう。
どうすれば、助けられたんだろう。どうすれば、他の子供達に我慢させないで、他の子供達にいろいろなことを押し付けないで過ごせたんだろう。
自分はここがダメだった、、、ここもダメだった。。。
そうやって、自分のことを抉るようなことをしていました。

今の時代だったら、相談する機関がいっぱいある。
無理に教室に入れることもないし、なにより、その原因を探る方法も変わってきている。
その子自身に、どんな困ったことがあるのかを探していく今の時代に、その子が小学生だったら。

先週、私の職場は、個人面談週間でした。放課後、1年生の先生が
「香取先生、○○さんってご存知ですか?もしかしたら、香取先生が担任じゃないかな?っておっしゃっていたんですけど。」
と、尋ねれこられました。
その子の名前でした。
結婚されて、子供さんが1年生に入学したんですって。保護者さんとして面談に来られたそうです。

「香取先生に会いたいっておっしゃってましたよ。先生がこの学校にいるってわかって嬉しそうでしたよ。」

実は、私、今自分の人生のこれからを考えている時でした。
この「時」に彼女が、私のすぐそばに来ている。

私は、彼女をどうしてあげることもできなくて、自分の満足のために彼女をなんとか教室に戻そうと必死になっていた時間がありました。一体、私のやっていることは誰のためにやっているのか、わからなくなることもいっぱいありました。だから、もう彼女は私に二度と会いたくないと思っていると思ってた。
一度、地元のスーパーで働いているというのを風の噂で聞きました。
だけど、私には会いたくないだろうな。。。って思って行くことはありませんでした。

生きることがとっても下手な女の子でした。
何か個人的に支援を受けることのできる道を模索して、中学生になるときには、何とか彼女には特別に支援してもらえるように、中学校の先生とも何度も何度も話し合いました。

大人になった彼女が、しっかり生きていることを知って、嬉しかった。
なにより、「会いたい」って思ってくれてるなんて。

新しい年号「令和」が始まりました。
私は、今、新しい自分の人生を歩こうと思っています。
そんな時に、神様がギフトを私に手渡してくれた。
私の宿題の答え合わせです。

ボブディランの「風に吹かれて」の歌詞ように
私たちの仕事は、答えはすぐには出ません。
その答えは、風の中にあるみたいなものです。
答えが出るかもしれない。
出ないこともあります。

当時、学年主任だった先生にこの再会をご連絡しました。
「この仕事、ずっと続けてきてよかったな!」
そうお返事をもらいました。

the answer is blowin' in the wind.
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