日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
今年もするよ。この話!翔ちゃん、お誕生日おめでとう。
2019年01月25日 (金) | 編集 |
マンハッタン


翔ちゃんも見たかな?あの日の空だよ。

翔ちゃん。
37歳のお誕生日、おめでとう。

翔ちゃんは「いい男だなあ。」と近頃ものすごく思う。
翔ちゃんが「いい男」だって、ずっと前から知っていたけれど、去年は再度、本当に「いい男」だって思った。

紅白で颯爽と司会をこなし、ドームに走ってきた翔ちゃん。
ドームに翔ちゃんの姿を発見した時思ったよ。
どれほどの大人の事情を、「友情」のためにかわして、
どれほど、ごめんなさいと言いながらそこまで来てくれたのか。

翼が、翔ちゃんを見つけた時のあの握手。
強い握手。

そして、もう一つ、私には「櫻井翔」はこういう人と忘れられないことがあります。
もう10年くらい、毎年お話ししてるけど、またお話ししちゃうよ!
2009年の、ちょうど今頃、2月のことでした。
私の住んでいたアメリカに「ヤッターマン、ワールドプレミア」のために翔ちゃんが来るというのです。
SYO SAKURAIが来るというのですよ。しかも、来るのはニューヨークコンベンションセンターの映画会社のブースに。

まだ大ブレイク寸前の嵐でした。

私は、いつ会えるかわからない、いつ帰れるかわからないけど、だけど翔ちゃんに会うんだ!と当時住んでいたニュージャージーから始発の電車に乗ってニューヨークへ出かけました。

今でも覚えています。真っ暗なペンステーションから、コンベンションセンターまで走って行ったこと。
情報は、たったこれだけ。
翔ちゃんのワールドプレミアに潜り込むことのできるチケットを100枚配りますよ!という触れ込みでした。そしてそこに翔ちゃんが来る。

でも、さすがにアメリカです。SHO SAKURAIの力を知らなかったのでしょう。その朝、もはやコンベンションセンターの地下駐車場は沢山の女子でいっぱいでした。寒い氷点下のニューヨークで並び始めた私たちに、唯一のアメリカの優しさは、地下駐車場を開けてくたことだけでした。

私の前には100人近くのファンの子たち。これならたぶんチケットはもらえる!と安心しながら、それからお昼頃まで、イベントが始まるのを待っていました。
たぶん、日本なら先着100名を並ばせたりしない。もしくは並ばせたのなら、整理券を渡すとか、その順番でチケットを渡すはず、しかし、これがアメリカの杜撰な計画で、オープンと同時に並んでいた私たちは、ヨーイドン!でブースに走らされました。これ、マジで。
もちろん、セキュリティは「走るな!」と言っていたけれど、これ絶対走るし。

すると、ヤッターマンのブースの前だけがものすごい人だかりとなり、もはや事故寸前の状態となりました。それでも日本人や、日本人が大好きな子が多かったからか、みんななんとか並ぼうとしたわけです。

しかし、チケットは先頭にいた10人程度の子に配られて終了。このままではコミコンの周りのブースに迷惑がかかるということでイベントは中止。「SHO SAKURAIは来ない。」とあっさり言われて、私たちは解散することになりました。

唯一、ブースが並ぶ広場が見渡せる数階上の窓から、翔ちゃんが手を振ってくれる、、、という情報だけが流れました。皇室か!

そこで私は日本から「たったそれだけの情報」を頼りに来たという初対面のファンの方と二人でどうするかを考えました。実は、別のお友達のご主人が当日取材に入るプレスだったので、
「当日券が出るはずだ。」
という情報を持っていました。
彼女と一緒にえいや!とイエローキャブに乗りました。

ワールドプレミアの行われるシアターに行けば、きっとなんとかなると思ったのです。
シアターでは、レッドカーペットの準備がされていました。なんとか日本人スタッフを見つけ出して、
「当日券は出るのか。」
を確かめました。
「たぶん出ると思うので、あそこに並んでください。」
と示された場所。今でも忘れないわ。消火栓があったのよ。そこに並び始めたのが、午後2時頃でした。

その日は、昼でも氷点下10度以下になっていた、とても寒い日でした。
北風もビュービュー吹き荒れていました。
カーネギーホールがすぐそばにある、57th streetで私たちは待ちました。
ずっと待ちました。
お昼の2時頃から、ずっとずっと待ちました。
不思議と「寒い寒い。。。」とか「お腹がすいた」とか「トイレに行きたい」とか一切感じないのです。

それでも、「会えるかな。」「会えなかったらどうしよう。」
そのことをずっとみんなで話していました。日本からほんの少しの情報でアメリカに飛んできたお友達、ノースキャロライナからずっと憧れていた翔ちゃんに会いに来た女の子たちと。

会えますように。

会えますように。。。
何度も何度もビルの立ち並ぶニューヨークの空にお願いをしていました。
今でも、あの日の空のこと思い出します。

何時間も経ちました。
私たちを先頭とした当日券待ちの列(コンベンションセンターから流れてきたファンの子たちも加わって。)はとても長くなり、カーネギーホールに届くほどになりました。

日が落ちてきました。
周りは暗くなり、本当にワールドプレミアに招待された人たちが、どんどんとシアターに入っていきます。
そして、プレスがレッドカーペットを囲みました。
ああ、あそこを翔ちゃんは通るんだね。見えるかな?プレスの人たちで見えないかも。

いよいよ、ワールドプレミアの始まる夜8時が近くなってきました。
私たちは、ただ消火栓のそばで待ち続けていました。
もう何時間くらい経ったかな。

そこに大きなリムジンが通りました。
今でもはっきり覚えているんだけど、スモークガラスだったかもしれないんだけれど、

翔ちゃんのどんぐり眼

翔ちゃんのびっくりした顔。

まだ大ブレイク寸前だった嵐。
それでも、アメリカの子たちも南米の子たちもヨーロッパの子たちも、たくさんのファンの子たちが世界中から翔ちゃんに会いに来ていました。
私に「believe」の歌詞の紙をくれたアメリカ人のファンの方もいたよ。
「ワールドプレミアでみんなで歌いたいの。」って。
そして、地下駐車場では「believe」を流してくれていた。

翔ちゃんの乗ったリムジンは、一瞬のどんぐり眼の翔ちゃんを見せて、シアターの前に停まりました。
歩道にはレッドカーペット。
周りにはプレス。
ストリートの2車線目にそのリムジンは停まって、
真っ先に翔ちゃんが降りてきた。

車からレッドカーペットまで、たった1メートルくらい。
その数歩を歩いたら翔ちゃんはもうレッドカーペットに消えていく。
私たちは、その瞬間しか翔ちゃんを見ることはできないのかもしれない。

固唾を飲んで見つめていた私たちの
10メートルくらい先のストリートに翔ちゃんが降り立った。

そして、真っ先に
翔ちゃんは、降りて真っ先に
後方にいる私たちのほうに体を向けて、大きく手を振ってくれた。

その時間は、ワイドショーを後で見せてもらうとたった数秒なんだけれど、私たちにはずいぶん長く、時間が止まっていたような気がしました。たくさんのたくさんの想いを私たちは、あの数秒間に込めました。

私は「いらっしゃ〜い!」と書いたウチワをもって、翔ちゃんに一生懸命手を振りました。涙がポロポロ溢れてきました。
そのまんまレッドカーペットに行けばいいものを、
まず、一番に私たちのほうを見て手を振ってくれた櫻井翔。

ああ、これが櫻井翔だと思いました。

去年のコンで、久しぶりにムビステの下に行った時、すぐそばで翔ちゃんが、遠くのみんなに全力で手を振っているのを見た。ああ、翔ちゃんだなあって思った。

これが櫻井翔だった。そうだった。。。って10年前のことを思い出しました。

人生の選択肢はいっぱいあっただろう翔ちゃんは、ずっと応援してきたファンの手を離さず、この世界に留まってくれた。ヨネハナ君が退所するときの「オトノハ」のことも忘れない。本当はもっとたくさん伝えたいことあったのに、スマートな翔ちゃんらしい言葉で見送ってくれた。

「いい男」だな。
20代の頃から、
拗ねてた時から
どうしていいかわからなくてもがいていた時から
君はずっと「いい男」だ。
スマートでかっこいい。

翔ちゃん、お誕生日。おめでとう。
「37。。。37歳!?」って思っちゃう翔ちゃん。
37歳も健やかに、
幸せに。

頑張ってこの道歩いてくれて、ありがとう。


さて、ニューヨークに戻ります。
プレスや招待客がシアターに入って静まり返った後、私たちはしょんぼりと、それでも、まだその場所に立ち尽くしていました。
すると、その日MCを担当するピンクのスーツを着た男性が、シアターから走り出てきて
「あと5人!」(4人だったかな?)
そう言って、私たちをシアターのお席に連れて行ってくれたのです。

今思うとなぜMCの方がわざわざストリートまで出てきて?と思います。この方も大概ええ男や!

奇跡というのはあるんだな。。。と思いました。
その後も、空いているお席へ何人かのファンの子たちが入れてもらえました。

これが、私の毎年お話しする櫻井翔の櫻井翔らしいお話です。
立ち止まって聞いてくださって、ありがとう。

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