日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
ミュージカル「アルジャーノンに花束を」一人反省会
2017年03月05日 (日) | 編集 |
金曜日から東京に行っていました。
金曜日は、屋良ちゃんに会いに「Endless Shock」でした。
これはもう毎年の恒例になっていて、いつからずっと見ているんだろう。斗真がライバル役のあたりから。

でも、本当はこの時期に飛行機やホテルを取っていたのは
「アルジャーノンに花束を」
を観に行くためでした。

大好きな大好きな本です。
何度も何度も読み返しているお話です。
もちろん元々はドラマだったりします。
だけど、一等好きなのはダニエルキースさんの原作本です。そして、日本語訳の小尾芙佐さんの文章が本当に美しいです。こんなにも美しい文章なら原書も読んでみたいと本棚に並んでいます。原書のアルジャーノンも。

だから、かつてこのお話がミュージカルになっていたことを知り、その時見ることのできなかった自分を悔しいと思っていました。そんな時に上演が決まった矢田悠祐さんの「アルジャーノンに花束を」。

本当に美しく素晴らしい舞台でした。
矢田さんへ、屋良ちゃんから花束が届いていました。
「THE CIRCUS」で共演してくださっていたのですね。私はそんな情報も何も持たずに、銀河劇場へ向かいました。
(サーカス見てるのに。。。。)
そんな素晴らしい「つながり」にも感謝です。
銀河劇場のエントランスで、屋良朝幸の文字を見ることができたことにも感謝。

そして何よりも、この舞台を見ることができたことに感謝です。
この美しいお話に真摯に向き合われた俳優さんたちに、今もスタンディングで拍手を送っている気持ちでいっぱいです。
東京に住んでいたら、もう何度か拝見したいけれど、私は北海道民の遠征組なので、心の中に仄かな灯をともすように、この作品のことを想っていますね。

矢田悠祐さん。
すばらしい、誠実なお芝居をされる俳優さん。
私の中に住んでいるチャーリーゴードンそのものでした。
役者さんめあてではなくお芝居だけを目的に東京に行くのは、初めてかもしれません。いつも嵐がいて、屋良ちゃんがいる。
こんな風に、このお芝居を見たいと思って劇場に向かうのはブロードウェイに通っていた頃(って、めちゃやらしい言い方やん。)以来です。

それほどまでも、このお芝居を見たかったです。
このお話は、「経過報告」という一人称で描かれているもので、ずっとチャーリーが語り続けます。
とても稚拙な間違いだらけの文章から始まり、それがやがて美しい文章になっていきます。
知識を得たチャーリーの文章になっていきます。
でも、
いつもチャーリーは孤独です。
いつも「ともだち」を欲しています。一人でいることに怯えています。

その怯えや、人間そのものを愛する姿や、何より人間としての温かさを矢田さんは本当に上手に表現されていたなあと思います。たぶんご本人がとても謙虚な方なのだろうなと思います。だって、サーカスでもアルジャーノンでも、対談であまりお話にならないで、一生懸命まわりの人の話を聞いていらっしゃるのがパンフレットの中で感じられます。きっと、「僕が僕が」という方ではないのでしょうね。
多くのベテランの方の中で、みんなのお話を理解されようとしている矢田さんの姿が手に取るように感じられて、きっとそれは、チャーリーの姿でもあるのだろうなと感じました。

お芝居は、とても美しい舞台装置、そして俳優さんたちの立ち位置(フォーメーション?)も美しいなと思いました。
同じセットで繰り広げられるこのお芝居の中で、まるで舞台美術の一部のように舞い続ける「アルジャーノン役」の長澤風海さん。
私は、すぐに暗転になったりくるくるとセットが変わるのって苦手なので、この舞台の作りがとても素敵だと思いました。「詩」を読むように進んで行くこのお話が、言葉と音楽と白ネズミちゃんの存在感で表現されていることに、深く納得しながら見ていました。

悲しくても嬉しくても、
切なくても怒りであっても
長澤さんがそこで舞っている。真っ白な美しいネズミの姿で。
なんて綺麗な演出、、そして、それは絶対的に原作の世界を邪魔していないと感じました。

むしろ、アルジャーノンはチャーリーで、チャーリーはアルジャーノンなんだと改めて、ああそうそう。そうだよね。。。と思いながら見ていました。

矢田さんの放つ台詞たちは、それはそれは素晴らしかったです。
原作のように、どの時点でその話し方が変わっていくのかしらと見つめていました。
それが、少しずつ上手に変化していき、気づかぬうちにチャーリーは天才に変わっていました。

私は、このお話の面白いところは、単にチャーリーという人が天才になって、またその自分を転げ落ちるように手放していくということだけではなく、
何より、チャーリーは「人間」というものを知っていくところだと思います。
他人を通して、そして自分自身を通して。

何より、「感情」というものを体験していきます。
これまでには持つことのなかった「焦り」の感情。
「怒り」や「苛立ち」
「恥ずかしい」
「悲しい」という感情も。
そして、高い知能を得ることで、誰よりも優位に立ち、それとともに失っていくことも傷ついていくこともある。

自分の記憶が鮮明になっていくにつれ、32歳までには体験してこなかった感情が押し寄せてきます。
そして、一番大切な「愛する」という感情を得る。

最後にチャーリーは、
賢くなってよかった。
楽しいことがたくさんあった気がすると言いますが、きっとそれは人からの裏切りや、人の悪いところを知ると同時に、
アリスを愛することで「人生そのもの」を知ることができたということ。
「生きる」ということを知ることができたということ。

だからこそ、ラストシーンで
「僕、ウォレン(知的障がい者の収容所)にいきます。」
とアリスに話す時に、笑顔だったのだと思います。

原作では、最後にたくさんのことを書き残し、一人ぼっちでウォレンへ向かうチャーリー。
お芝居では、それをアリスに伝えていきます。
そして、アリス役の水さんが、そのシーンでとても泣いていらっしゃったのが印象的でした。私もアリスになって泣きました。

一番好きなのは、舞台装置の一番高いところに座ってチャーリーが話すところ

「あと、ひとつつだけ
 どうかついでがあったら
 うらにわのアルジャーノンのおはかに
 はなをそなえてあげてください。」

もう幕が上がった時のチャーリーの話し方に戻ってしまっている。
その時優しく微笑んでいたチャーリーの表情に、涙ぼろぼろになっちゃいました。

私は原作を初めて読んだどき、この言葉が最後の一文であることに泣きました。
だから、その一文を大切に、チャーリー本人に語らせたシナリオが素晴らしいと思いました。
しかも、たくさんのメッセージをアリスに伝えた後
ゆっくりと高いところに登って、そこに身を置いて。

ミュージカルは本来、楽しくてハッピーで終わって欲しいと思ってしまいます。
だからこそ、私はミュージカルが好きです。
でも、
アルジャーノンはミュージカルでよかった。
「アルジャーノンに花束を」は、本当に、ずっとチャーリーの苦悩や葛藤ばかりが続く物語です。
どこに身を置いても孤独で
たった一人の友人は、結局アルジャーノンであったチャーリー。
そのチャーリーの深い「想い」を、「語ること」だけではなく美しい音楽とともにミュージカルとなったことが素晴らしいと思いました。だって、音楽は人の感情ですから。人間の想いが言葉以上になった時に、音楽は生まれたはずですから。

パンフレットを読んでいると、その時その時のチャーリーの気持ちよって音の配置が考えられているとか。オペラのように仕上げたと書かれていましたが、そういう技法がこのアルジャーノンには、とても相応しいと思いました。

なんというか、とにかく「美しい魂」そのものが描かれているのが「アルジャーノンに花束を」だと私は思います。
そして、同じような美しい魂を持った青年、矢田悠祐さんのチャーリーに、今も拍手をしたい気持ちでいっぱいです。

「アルジャーノンに花束を」
見に行ってよかった。
矢田悠祐さんに会えてよかった。
気高い白いネズミの長澤風海さんに会えてよかった。
チャーリーゴードンに会いたかった。
やっと、会えた。
銀河劇場のほんの数メートル前にいたのはチャーリーゴードンだった。

神様
ありがとう。
こうやってまためぐり会えたことに感謝です。

くどいけど、一昨年に原作アルジャーノンが好きすぎて書いたエントリーです。


原作「アルジャーノンに花束を」の感想



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