日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
翔ちゃん、お誕生日おめでとう。
2017年01月25日 (水) | 編集 |
翔ちゃん、お誕生日おめでとう。
君の年を30いくつと書いておめでとう言うようになって何度目かな?

髪を肩まで伸ばして、斜めに睨んでいた翔ちゃんが、一番最初の出会いでした。

でも、番組を見ていると
メンバーと一緒に楽屋に帰ってくるなり、一人一人に「お弁当食べる?」と渡す君は、
え?お母さん!?と思うようなみんなのお兄ちゃんだった。

相葉ちゃんの紅白司会が決まった11月の札幌ドームで
「不安?」
って聞いたのは、自分のこれまでの司会のことを思い出したからだろう。
やっぱり、
え?お母さん!?と私は思ったよ。
支えてあげたくてたまらなかった、もがいていた嵐はどこにも今はいなくて、君たちがそこにいるのが当たり前だと思える毎日。

月曜日には、君がかしこまってちゃんと座ってるのが当たり前になった。
木曜日や土曜日には君たち5人が元気に笑ってる姿に必ず会える。

こんな安心なことはないね。
そんなことを思って2017年が明けたよ。

翔ちゃんの笑い声が大好き。
特に、5人でいるとき
コンサートで花道を5人で歩いているとき
ニノが大ちゃんに思いっきり突っ込んでるとき
相葉ちゃんが、何か面白い事やっちゃってるとき
翔ちゃんの声だけがテレビのどこかから聞こえると

あぁ嵐だな

そう思う。
嵐はいつも仲良しで
信頼をしていて
頼れる仲間で
家族で、
兄弟で
翔ちゃんに、そして4人の帰れる場所としてそこに「嵐」があることは
本当に幸せな事だと思う。

今年はそんな事を思う年の始まりだったんだよ。翔ちゃん。
だけど、君たちがそんな「安心感」を私たちに手渡すまでに、
5人が努力して
もがいてきたことを忘れない。

2007年のTimeコン、東京ドームで君の言った言葉を忘れない。
「ああ、一番奥までお客さんでいっぱいですね。
 僕ら、ここに来るまで8年かかりました。」

今、どのグループもそんなにもかからないであろうドームまでの道のり。
5人が歯を食いしばって歩いてきた事、私はちょっと知ってる。

それから、
毎年、君のお誕生日に私がここでお話しする事。
今年も話すね。
あの日のニューヨークの事。

2008年の2月。
私はアメリカに住んでいました。
その数週間前に英語のとても曖昧な情報が流れてきました。
Mr.Sho Sakuraiが、ニューヨークのコミックコンに来る。
日活ブースで挨拶をする。
ワールドプレミアに入場できるチケットを100枚配布するという情報でした。

何度読み返しても、アメリカでお仕事をしているお友達に聞いてもそれ以上の情報の得られない、今同じ事を日本で翔ちゃんがしようとしたらどれほどの恐ろしい混乱が起きるか。

でも、この小さな情報のために、この2月のその日、
マンハッタンのコンベンションセンターには世界からたくさんの嵐ファンの女の子たちが集まりました。
その中には、在米邦人の女の子たちもいれば、東京から不確かな情報だけを頼りにその場所に来たファンの方達、南米から、ヨーロッパからたくさんの女の子たちがコンベンションセンターの地下駐車場に集まりました。

2月のニューヨーク、その日は氷点下15度以下の寒い風の吹く日でした。
結局、現場は案の定混乱しチケット配布が中止になるという悔しいことになりました。想定内のことでした。
今もきっとどこかで元気に嵐コンに通っていらっしゃるかしら?ご主人がプレスでいらした当時の嵐友ちゃんがシアターに行って当日券をゲットできるという情報をくださいました。
私と、その時出会った日本から来られた翔ちゃんファンの方で、イエローキャブでシアターに向かいました。

シアターで働く日本人スタッフも当日券のことは何も情報を得ておらず、とにかく並んでいて欲しいと言われ、午後2時頃から夜の8時過ぎまで私たちは氷点下15度のストリートでずっと過ごすことになりました。

とにかく、翔ちゃんに会いたかったし、翔ちゃんにみんなが応援していることを私は伝えたかったです。
どんなに遠くにいてもいつだって、私は嵐を応援しているということを伝えたかったのです。

私たちは、シアターから10メートルくらい離れた消火栓の前でずっと立っていました。いつしか私たちを先頭にしたその列は、長く伸びてカーネギーホールの前あたりまでにもなったでしょうか。

開演は8時。
シアターの前にはレッドカーペットが敷かれその周りにはプレスが集まり、もうカーペットは見えなくなりました。たくさんのゲストがシアターに入っていくのを見送りました。私たちは、入れるか入れないのか不安なままでした。
だけど、翔ちゃんに会いたいと強く思っていました。

8時過ぎにリムジンが私たちの列の前をゆっくりと行き過ぎました。
歩道から2車線目を通ったリムジンの中から、翔ちゃんの「どんぐり眼」が見えました。
長いファンの列を見つけた翔ちゃんの「どんぐり眼」に向かって私たちは一生懸命手を振りました。

2車線目に停まるリムジン。そこからプレスの人だかりまでたった数メートル。
きっとそこを行き過ぎる翔ちゃんの姿を私たちは、たった一目だけ見るんだと待っていました。
その瞬間しか、きっともう彼には会えないと思っていました。
停まったリムジンから翔ちゃんが降りる姿が見えました。

そして
彼が真っ先にしたこと。

そこから10メートルほど下がったところにいる私たちファンに、彼は立ち止まり、大きく手を振ってくれた。
プレスにカメラを向けられるより先に、彼は私たちのことに気づき、
大きく大きく手を振ってくれました。

涙がポロポロとこぼれました。

あぁ、櫻井翔だと思いました。
ずっと私が応援してきた嵐の翔ちゃんの姿だと思いました。

氷点下15度のマンハッタンの空はもう夜空に変わっていて、あの輝かしい光がいっぱいになっていました。

翔ちゃん。
あの日のこと私は今も大事に覚えているよ。
今も手のひらに乗せて、あの日のこと優しく思い出すことができるよ。

そのままで
あの日のままで、
優しいお母さんみたいな翔ちゃんで、嵐の明日をまた見せてね。
一緒に明日へ歩いていこう。

35歳の翔ちゃん。
お誕生日おめでとう。
きっと辛い日もあるんだと思うけれど、
翔ちゃんの信じる道を歩けますように。
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