日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
小田和正様〜"NEXT" KAZUMASA ODA TOUR2016~
2016年07月17日 (日) | 編集 |



小田さん

十代の頃、
17歳くらいの頃、私は小田さんに長い長い手紙を書いたことがあります。
34歳の小田さんに。
小田さんの、ブルーのセーターを着てサラサラの髪で芝生に座ってる写真が大好きでした。
どんなインタビューにも「考えたことない。」「思い付かない。」と答え、あげく「一番大変なことは何ですか?」という質問に「このインタビューに答えること。」と言ってしまう、、、そういうところが大好きでした。


今日は嵐でも書いたことないくらい長くなったので、読むことをお勧めしません。うふふ。世界に発信する私信です。
「今日は冷たいコンサートになるかもしれません。MCはありません。」とノンストップでコンサートをやっちゃうところ。
鈴木さんと二人、背の高い椅子に座って何にもわずに「もう花はいらない」を歌うところ。
タオルで汗を拭くときは、タオルじゃなくて自分の頭を動かすところ。
たくさんのキーボードに囲まれて、その向こうで大きな瞳でじっと一点を見つめて歌うところ。
パンが好きで
横浜が好きで、
港の見える丘公園で笑ってる写真。
スキルよりも人柄でメンバーを採用しちゃうところ。
絵が上手なところ。
すごく達筆で、
そして詩人であるところ。

小田さんが大好きでした。
さっきCDがいっぱい入っている棚を整理していたら、オフコースのCDはもちろん小田和正としてのソロアルバムもちゃんと買っている自分に安心しました。
たぶん、ずっと小田さんのこと見失わないようにはしていたけれど、どうしても
どうしても私が好きなのは、その傍に背の高い鈴木さんがいる風景。

初めて行った京都会館のコンサートで、アルバムを買いました。
アルバムを買うとオフコースのサイン色紙がもらえました。
その色紙のフルネーム漢字で書く、達筆な文字が大好きでした。
SONG IS LOVEという言葉をサイン色紙に書くオフコースらしさも好きでした。

オフコースは、私の青春そのものです。
どうしても大学のピアノ科に入りたくて、誰とも話さず学校も休んでピアノばかり練習していた私が、たった一つ安心できるのが、オフコースのレコードを聴いている時間でした。試験勉強の時は絶対に聞かないと我慢したり、大学に受かるまではコンサートにもいかないと決めて、ピアノの上にオフコースのアルバムを飾って練習していたのがまるで昨日のことのようです。

ある夜、もう寝ようとしていた時
「愛の唄」を聞きました。「ワインの匂い」というアルバムでした。
その詩の美しさに、手が止まりました。

めぐくる季節にも
懐かしい匂いがして
震えてたあなたの 温もりさえ蘇る
この手に

泣きぬれてただ一人
寂しい黄昏には
恋人よ 振り向けば
優しい思い出をあげよう

当時の私は、オフコースの情報を上手に知るすべもなかったので、いつも小田さんの詩の中に小田さんの本当の気持ちを探していました。
小田さんの書く、美しくやわらかく優しい言葉が大好きでした。
だけど、私には「愛の唄」が何よりも好きなオフコースの唄でした。

「別れの唄はもう書かない。」そんな一言を小田さんが言えば、「さよなら」を書いちゃう小田さんに「どうして、別れの唄を書いたんですか?」と尋ねたくなリました。
「武道館では絶対にコンサートをしない。あんなに音の悪いところではできない。」と言えば納得し、それでも集客できる場所がなくなってきたオフコースには、武道館で演奏するしかなくなったりもしましたね。
「テレビには出ない。数分で僕らは自分を表現できない。」と小田さんが言えば、うんうんそうだ、オフコースの良さはコンサートでしか表せないと思ったものでした。

小田さん。
月日は流れましたね。
小田さんが、きたえーるの花道を歩き私たちにお手振りをくれて、オフコースの歌を歌う。
「オフコース好きですか?」ってファンの私たちに尋ねる小田さんが目の前にいました。
小田さん。
小田さんの口から、「オフコース」という名前を聞くだけで、私たちは長い間閉じ込められていた場所から解き放たれるくらいの安堵と「光」を感じました。
そして胸が苦しくなるくらい、喉の奥が痛くなるくらい泣きたくなりました。

小田さんが、涙を流してオフコースを封印した時から、私はもう小田さんがオフコースでない限り、小田さんの近くには行くことはないと思っていました。だけど、ここ数年「クリスマスの約束」を見るたび、もしかしたら小田さんは、いつの日かここに鈴木さんを呼びたいんじゃないだろうかと思うようになりました。

昔、同じ時間を過ごしたことを懐かしく思ってほしい。。。そんな当たり前みたいな言葉で今回のアルバムをリリースしてたくさんの街に訪れる小田さん。
きたえーるでオフコースの楽曲を歌う小田さんを見た私は、そんなに穏やかに懐かしいノスタルジックな気持ちだけではいられなかったです。小田さんが、とても丁寧に、まるでそっと掌に乗せるみたいに、大切にオフコースの歌を歌う姿を見ていたら、私の中にはたくさんのたくさんの想いが湧いてきて

小田さん。どうして?どうしてですか。
どうしてオフコースは解散しちゃったの?
高校生の時、物分かりのいいフリをしていた私が、急に叫びだしました。

オフコースは多くを語らないグループでした。
まるで夢がかなったように、新しいスタジオの様子をファンクラブ会報誌に載せて紹介する鈴木さんとは対照的に、「こんなことがあった後は、ぐっと前に進めるはずです。オフコースはそんなグループです。」と美しい文字で自分の思いをファンの私たちに伝えた小田さん。

小田さんが決めたことだ。鈴木さんが決めたことなんだ。
なんだかわからないけれど、私たちの知らないところで小田さんと鈴木さんは違う道を歩くって決めたんだ。
だったら、私たちは追いすがっちゃダメだ。
物分かりのいい、賢いフリをしていた当時の私は、
それでも、「最後」へと向かっていくオフコースのアルバムを聴きながら「答え」を探していました。
I LOVE YOUがリリースされた時は、その後ろに流れるジョンレノン暗殺のニュースを聞いて、ジョンレノンのアルバムを買ったりしました。
そこに答えがあるのかもしれないと思ったからです。
フイルムコンサートにも行きました。泣きながら最後のフイルムコンサートにも行きました。

長い間多くの人に認められなかったから、小田さんや鈴木さんが苦しんでいたことは、私もわかっていました。
だからこそあんなにキャッチーな「さよなら」が生まれたわけです。
隠し玉を全部出した一曲があって、やっとその人気を手に入れたのに、鈴木さんが脱退してオフコースが解散するってどういうこと?
本当は納得なんか私はしていなかったです。

小田さん、オフコースの楽曲をこんなにもいっぱい散りばめたコンサート。
そして、小田さんと一緒に楽しく歌うなんて、あの頃の私には考えられなかったです。
あの頃は一緒に歌う、、、そんなコンサートじゃなかったもの。
小田さんも鈴木さんも、私たちには目もくれず自分たちの追求する音楽に没頭していました。
花道を歩き、手を振って、YES-YES-YESには振りも付いていました。
決して、私と小田さんの距離はこんなではなかったです。
月日は人をこうやって変えていくんですね。
だけど、小田さんがピアノに向かう姿は、何十年もの時を超えてあの頃のままでした。

そして、どうしてか
私には小田さんが、どの歌も鈴木さんに向かって歌っているような気がしてならなかったです。

小田さん。
小田さん。
トリプルアンコの選曲。
なぜ、最後は「NEXT」だったのですか。

あの時も、小田さんは最後に私たちにこの曲を手渡して、どこかに向かって歩いて行ってしまいました。
あの時と同じ「クイズ」をもう一度私に手渡して、また小田さんは軽やかに幕の向こうに消えていきました。。
とっても軽やかな足取りで。

NEXTを初めて聞いた時の、あの日の感情を私は上手に説明することができません。
最後通告が来たという気持ちで、肩を落として泣くばかりでした。
そして、
また、今、この歌を小田さんは私たちに手渡す。

新しい時の流れの中で
いつかまた会える時がくるね
その時 またここから
歩き出せばいいから

あの頃 確かに僕らがいたね
誰も知らない 僕らがいたね
何も見えない明日に向かって
走る僕らがいたね

まるで、この日が来ることがわかっていたかのように小田さんは、この歌を書き
そして、
「ね、もう答えは分かったでしょう?」
そういうように、また私の目の前にこの歌を届ける。

小田さん。
だけど、最後のピースが見つからないよ。小田さん。
小田さんも、その最後のピースを今も探しているよね。

私の答えは、正解ですか。

小田さん
最後のピースが見つかるまで、私も一緒に祈っています。
そのピースがしっかり、
私たちがずっと生きてきた
長く長くやり続けてきたパズルにぴったりで合いますように。

さて、小田さん。
数十年前に書いた長い手紙は、小田さんの目には触れることもなくどこかに消えていたのだろうと推測します。
そして、
この長い手紙も小田さんの伝わることなく、空の彼方に消えていくと思います。
それでいいです。

小田さん。
ずっと元気で、
またいつか。
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