日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
はまりすぎ
2015年07月05日 (日) | 編集 |


これです。
「アルジャーノンに花束を」

相当にはまってしまいました。
最初はpちゃんのドラマでした。少し前にドラマの感想を書きましたが、その後原作を読みました。すごい作品でした。
ほんとにすごい作品でした。

それから、映画も買ってみました。(もう絶版になっているため、レンタルもされておらず、オークションで。)
「CHARY」(邦題は「まごころを君に」だそうです。)1960年代の映画です。
この映画は、できる限り原作に近く描かれていましたが、いかんせん約2時間の中で表現できるものは、やっぱり限られてくるなぁと想いました。しかも原作はニューヨークが舞台なのに、ボストンのうすぐらい街が舞台だったので、ちょっと切なすぎる気もしました。

 それから、ユースケサンタマリアさんのドラマももう一度見直しました。このドラマの方が、Pちゃんのドラマよりも原作に近く描かれているなぁと感じました。ハル(原作ではチャーリーゴードン)の働くお店がパン屋であること、しかもそこで壮絶なイジメにあっていること、またそれを「イジメ」とは受け取らずに笑っていればみんなも笑うと信じている知的障がいの青年ハル。
このドラマのよいところは、菅野美穂さん演じるえりな先生が、大変深く表現されているところかなぁと思いました。私は野島版のアルジャーノンで、なぜはるかがさくちゃんに惹かれていくのか、その過程が今ひとつ見えなくて納得いかなかったんだけれど、菅野美穂さんのえりな先生は、原作と同じ養護学校の先生であり、なんとかハルを狭い世界から出してあげたいという強い想いで彼に手術をさせる。そして、知能が上がりつづけ感情の成長が追いつかない彼に「人間らしさ」をずっと伝え続け、その中でとても自然にふたりの心が繋がっていく感じがしました。
 だけど、ユースケさんのドラマは、どう考えてもハッピーエンド過ぎです。たしかに、田中惠和さんのシナリオなので、ハッピーにあっけらかんと終わる、、、伝えたいことをいっぱい詰め込んで、しかもハッピーに終わっていったのが、ほっとしたけれど、「あれ?」という感じがしました。でも、ユースケさんが障がいをもつ青年から天才になっていく姿、その中で自分の知能が将来低下していくことを知っていく中での葛藤とか、やがて心が穏やかになっていくところとか、知能が高いだけが人間の良さではなく、つまるところは人を愛し、人に愛されることこそ「人間」であることを理解する姿が、とっても伝わってきました。好演だったと想います。
でも、ハッピーエンド過ぎ。だって、お母さんが迎えに来ちゃうんだもの。

さて、私の中ではどのアルジャーノンも好きですが、いちばんは「原作」だと想います。
というよりも、これがいちばん現実的で、最後の数ページは何度も読み返して何度も泣きました。

これは、物語ではなく一人称で書かれる「経過報告」で綴られていきます。すべてチャーリーの目から見たことが書かれていて、どれだけ彼がずっと孤独であるかが伝わってきて、泣いて泣いて泣きました。

 冒頭は、短い文章の「けえかほおこく」から始まります。平仮名で誤字ばかりの、そう、、、私が今子どもっちたちの作文なんかを添削してると出会うような文章、とても稚拙な狭い見方だけの文章で検査の事が書かれています。読む方は大変です。(私はこういう文を読むのが本職なんですけどね)読んでいるととってもつかれるつたない文章が、懸命に書かれているもの。
 そして、それが、手術のあと少しずつ少しずつ漢字が増えて正確な綴りになってゆきます。大好きな養護学校のキニアン先生のことも、いつしかアリスと呼び、女性として愛し始めます。今まではいじめられても笑いあっていたはずの友達が、自分をさげすみ馬鹿にして笑っていたことを知り、お母さんが自分を捨てたことを知り、「賢くなること」でどんどん傷ついてもいきます。幼少時に受けた親からの虐待や、知り合いから受けた性的な虐待など、記憶に残っていなかったことも全てが鮮明によみがえり、まっすぐに女性を愛することや、受け入れることができない自分との闘いも始まります。知能が発達し続け、お世話になっていたパン屋の従業員たちの不正を知り、告発したことで仕事を首になったりと、「賢くなる」ことが全て「幸せに繋がることではない」ということを理解していくチャーリー。
 そして、自分より先に実験を受けたアルジャーノン(彼の唯一の友達)に異変が起こり、アルジャーノンの知能が低下していき弱っていく姿を目の当たりにし、自分も同じく退行していくことを調べ理解します。

 私はこのあたりからが、原作の素晴らしさだなぁと想います。ただ、憧れていただけのアリスが、知能が退行していくことを知ったチャーリーを支えるために、チャーリーの部屋にやってきます。ここが、ドラマにはなかったところです。チャーリーは自分の知能が失われていく姿をアリスに絶対に見せたくないと思い、「出て行って欲しいと言ったら、すぐに出て行って。」という約束でふたりで暮らし始めます。
 チャーリーは、自分の書いた論文も理解が出来なくなり、昨日まで読めていた数カ国語も全てを失います。かんしゃくを起こして本を破り捨て、アリスがそれを片付けることを拒みます。なぜなら、それを片付けてしまうと、自分がなぜその本を破いたのかという記憶もなくなっていくから。外に出て迷子になってしまったり、家にある椅子やテーブルにもぶつかってしまうという、もはや身体の動きすらままならなくなってしまったチャーリーは、とうとうアリスに「出て行って欲しい。」と言います。

 この辺りから、経過報告に少しずつ文章の誤りがでてきたり、これまでは漢字だったのに平仮名表記になっていったりします。そんな中アルジャーノンが死にます。経過報告が少しずつ稚拙な文章になっていくのが、読んでいてなんとも切なくなっていきます。やがて、タイプが打てなくなり、手書きで書くことにしますというあたりから、冒頭の文章のように誤字だらけになっていきます。

 それでも、チャーリーは一生懸命に本を読もうとします。本の読み方を忘れないように、字を書くことを忘れないように。
すごく上手な表現だなぁと原作を読んで感じるのは、

自分は下りのエレベーターに乗っている。だまって立っていると、どこまでも下っていくだけだ。
でも、もしこのエレベーターを上へ上へ登ろうとしたら、この場所に留まっていることができるんじゃないか。

という文章を読んだとき、泣きました。
図書館に行って本を借りて読むチャーリー。でも、そのうちドラッグストアの雑誌ですら理解が出来なくなっていきます。

それでも、
それでも、
「ぼくは、またすぐにあたまがよくなりたいです。
いちにちじゅうすわって、ほんをよんでいたいです。」

そんな風に書いてある文章を読むと、どうしても涙が止まりませんでした。
自分が追い出したアリスの働く養護学校にうっかり行ってしまい、もとの自分の席に座ってしまうチャーリー。そして、教室に入って彼を見たアリス。そのアリスの驚愕し涙を流して出て行く姿を見るまで、チャーリーは自分が手術を受けたことすら忘れてしまっている。とうとう彼は、障害者収容施設に自ら入所する決心をします。

最後は、自分に手術をしてくれた先生達への感謝の言葉が綴られています。
そして
きっとぼくは、かがくのやくにたったにちがいない。
そう書かれています。
おこりんぼの教授には、「おこっていてはともだちができないですよ。ぼくはウォレンのしせつでともだちをいっぱいつくります。」と伝えます。

そして最後に
「ついしん、どーかついでがあったら、うらにわのアルジャーノンのおはかにはなたばをそなえてください。」
という一文で経過報告が終わります。

チャーリーは、ずっと孤独で、最後の一文まで孤独なままです。
知能が高くなっても孤独でした。
ダニエルキイスというアメリカの作家のSF小説(1950年代のお話)だけど、SFというだけではないたくさんのことを、私達に届ける作品だと感じました。とにかく、私は知能が退行していくあたりからの、チャーリーの文章が強く心に残り、なんだか近頃は寝ても覚めてもアルジャーノンになっています。むちゃくちゃはまってしまいました。

Pちゃんのドラマはとってもよかった。ユースケさんのドラマはもっとよかったなぁと想います。
でも、ほんとうのアルジャーノンは、この原作の中にしかいないという気がします。

そして、私自身。。。
ずいぶんと大人になってしまい、昔できたこと、
昔かんたんにできたことが、すご〜い時間をかけて確実にできなくなってることが多いです。
ピアノもそう。
仕事なんかまさにそう。今や、つなわたりでヒヤヒヤしながら、毎日を送っています。
だからこそ、今、このチャーリーの「けえかほおこく」に心打たれているのかなぁと想います。

決して障がいをもつ人達のことを題材にしたお話ではなく、誰もがチャーリーのような気がします。
私も。

長々書きましたが、とにかくここのところ数週間、、、
ずっとアルジャーノンに心を奪われている香取でした。
次は、原書を読もうと思っています。とっても美しい表現がたくさんでてくるので、英語で読んでみたい。
でも、チャーリーと同じように愕然とするんだろうな。
私にはもう、TOEICのスコアをもらったころのような英語を読む力はないから。

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック