日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
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9番目の音を探して
2015年04月25日 (土) | 編集 |
9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学
(2015/04/17)
大江 千里

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千里さんの著書。
9番目の音とは、ドレミでいうと、ドレミファソラシドレの「レ」の音。
Cだとれはフラットがつく。
この音が入ることで、和音はジャズになります。7thじゃ出せない。。。もっというと11とか13もあるんだけど。

千里さんが全て捨てて、わんちゃんの「ぴ」ちゃんだけを連れてニューヨークに向かう、その冒頭を読んだだけでも私は泣きそうになりました。
もちろん、千里さんの文章は本当に美しいから。

私は大学を卒業して、それこそ全てを捨ててこっちにくるときに飛行機だったかな。。。
彼の「フレンド」を聞いて、その詩の美しさに飛行機の中で時間が止まるような気がしました。
もちろん、彼のことはずっと大学生の頃から知っていた。だって、友人が彼の初めてのマネージャーだったから。
その友人から、千里さんのデモテープまでもらっていたけど、、、でも興味なかったから聞いたこともなかった。

北海道に来てから彼の音楽は、生活と共にありました。
それでも、時間の流れの中でいつしか見失っていた「大江千里」さん。

そして、私も千里さんより数ヶ月遅れた2008年の3月、アメリカに移住しました。
アメリカに辿り着いた私は、とにかく荷物を整理することに集中していました。外国で生活するのは2回目で、前回の時もそうだったんだけど、「できるだけ日本と同じような生活」が送れるように、「あれをもってきていたら。。。」と想わないように多くのものをもっていっていました。もし、必要なくなったらあっちで捨てればいいじゃんと想っていました。

その荷物の中には、20代の頃に買っていた千里さんのCDがいっぱいありました。
そのCDを整理しながら、ふと
「千里って今なにしてるんだろう。(当時は呼び捨てしとった。)。」
そう思いインターネットで検索しました。

すると、私が辿り着く数ヶ月前に、彼は日本での地位も名誉も全部捨てて、ニューヨークにジャズの勉強のために移住しているではないですか!
著書を読むと、コンサートツアーまでキャンセルしてだったそうです。
でも、その手配をしたのは当時のマネージャーさんで、
「千里さんが、ジャズを勉強したいと言うことはわかっていましたよ。今はそのことに集中しましょう。」
と言ってくれたそうです。すごい。すごいマネージャーさんが傍にいたんだね。

私のアメリカでの第1の目標は、ひとりでスタバに行くこと。
2つめは、英語をがんばること。
そして3つめは、ジャズピアノを学ぶことでした。だって、ニューヨークだよ!マンハッタンのご近所さんに引っ越すんだもの。私がジャズをやらないわけにはいかない!そう決めていました。
それこそ、「自由に弾いているように見えて、絶対にもの凄く複雑なセオリーがあるはず」のジャズの本当の姿を知りたいと思っていました。

そんなところに、旧友のように想って青春時代を過ごしていた千里さんが、一足お先にアメリカに来てジャズの勉強を始めてる。(もちろん、私なんかと比べものにならないお勉強の仕方ですが。。。)
私は俄然やる気が出ました。
なんとかしなきゃ。自分の人生をなんとかしなきゃって夜更けのリビングで彼のブログをのぞきながら想っていました。

彼の冒頭の文章を読んでいるだけで、
その引っ越しのすさまじさや、ワンちゃんと一緒に飛行機に乗る下り、そしてイミグレーションで止められるところとか、、、
アパートに着いた瞬間の疲労感とか、、、
全然、格は違うんだけど「あぁ、、、わかる。。。」って想いました。

私はアメリカにいる3年間、きっといつか地下鉄やストリートで、千里さんに会えるといつも想っていました。
いつも注意深く、周りの様子を見ながらマンハッタンを歩いていました。
キョロキョロしながら地下鉄に乗っていました。
ちょっとニアミスで同じミュージカルなんか見たときは、くやしたかったな。
そして、彼はもうプロのシンガーではなく学生という身分だから、絶対にお金を取るようなライブもギグもやらないっていうことも、よ〜〜く理解しました。彼がすぐ傍のニューヨークで頑張る姿をブログを読みながら、感心し尊敬しジェラシーを感じ、自分には出来ないと思い、、、、ずっとのぞかせてもらっていました。

私の帰国の決まった3年目の秋に、やっと100を越えたストリートのお寺の前で(お寺だし)千里さんに会えたときは、私の3年間の気持ちを話したっけ。
会えることが当たり前みたいに、話しかけたあの日のこと忘れません。
そしてニューヨークで千里さんのピアノを聴いた最後の夜には

「千里さん、千里さんは私のニューヨークの光でした。」

って叫んじゃった!
同年代の彼が、苦しみながら学ぶ姿が、私にとってはまるで灯台の灯りのようでした。
千里さんは、移民局にやってくる船を導く自由の女神のような(自由の女神きらいだけど)存在でした。

実は今週、彼は札幌に来られるそうで、、、私はあんなに探した千里さんを今は探すこともなく、明後日は夕方会議なんでどう考えてもいけへんねん。会いたかったな。

冒頭だけでも、涙がこぼれそうになる彼のジャズへの入口。
これから私も扉を開きます。

おりしも、実は私もまたジャズを、始めようとしています。
いや、私、、まだ全然始まってないんですけどね。
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