日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
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ごんぎつね
2013年12月03日 (火) | 編集 |
ごんぎつね (日本の童話名作選)ごんぎつね (日本の童話名作選)
(1986/10/01)
新美 南吉

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小学校の国語の教科書には、たくさんの名作物語があります。
私が大好きなのは、この物語。
新美南吉作「ごんぎつね」
ごんは、私のいる地域では4年生の教科書に載っています。
ちょうど彼岸花の咲き乱れる秋の頃。。。とはいえ、北海道に彼岸花は存在しないので、なかなかあの美しい田んぼのあぜ道に咲き乱れる花のことを伝えるのはむずかしいです。

それでも、この物語は子供達にとって、とても魅力的なんだな。。。と今回指導して改めて思いました。

この有名なお話は、新美南吉18歳の時の作品です。
若くして書いたお話なので、出版社や別な作家さんが随分手を入れて、今の形になっているそうです。だから、ごんが自分を「おれ」と言ったり「わし」と言ったり、「納屋」が出てきたり「物置」が出てきたり、どうも不可解な部分もある物語です。

新美南吉は、小さい頃に養子に出され、その家からまたさらに養子に出されるという不幸な生い立ちの青年で、さらには自分自身のことを決して「イケメン」とは思っておらず、むしろ「醜い」と思っていたと言われています。このごんぎつねは、彼の当時憧れていた身分の違うお姫様のような女性を思って書かれたといいます。

私自身、この物語を子供達とお勉強するとき、ひとつのゴールを想定して学習を進めていきます。私がこだわりもって扱いたいのは、最後のごんが撃たれてしまうシーンで、火縄銃をばたりととり落とす兵十のことを、子供達がどう思うか。お話の中盤で「ひとりぼっちの兵十か。」と、ごんはおっかあを亡くした兵十のことを言うのですが

本当に兵十はひとりぼっちだったのだろうか?

最後のシーンで、子供達にこのことを尋ねます。
実は、この物語でキーパーソンになるのは、家庭の事情が複雑だったり、すごく寂しい思いをして生活している子供達だったりします。決して、優等生だったり、愛溢れる家庭の子達には想像しきれない。そういう「心」を、ごんはもっているらしいのです。(これは、何回4年生を担任しても、なるほどな。。。と私が想うところです。)

さて、兵十はおっかぁを亡くしたあと、本当にひとりぼっちだったでしょうか?

今回、私が教えた子供っちは、6年生。
普通の多人数の学級でお勉強するのが苦手、、、という子供っち達とお勉強しました。

もちろん一気にこの、私の問いに答えることはとってもむずかしいです。だから、お勉強するとき、ごんは何を見て何を聞いているのか?ということをずっと追ってお勉強していくのですが。。。場面が進むにつれて子供達は気付いていくのです。
ごんが見ているのはたったひとり、兵十であるということ。
しかも、最初はおっかぁに食べさせるうなぎを自分の穴に持ち帰ってしまったことを悔い、そのつぐないをしたいと考えるのですが、ごんはとにかく健気に毎日つぐないをし続け、しかもそんな自分に「気付いて欲しい」という気持ちを持ち始めます。

もともとは、寂しさの余り村にしょっちゅう出てきてはいたずらをしていたごんですが、兵十が自分と同じひとりぼっちになってしまったことで、その寂しさを理解し共感し、彼を元気づけたいと想い。。。果てには、「かげをふみふみ」兵十の傍を歩く、、、という「そんな危険をおかしてまでも?」って言うような行動にでちゃいます。

今回は初めにこの黒井健さんの美しい、色鉛筆だけで描かれた絵本を読んであげたとき、ひとりの子が
「先生、兵十は、、、みじめだな。殺さなくてもいいきつねを殺してしまって。」
と言いました。もうこれを聞いたとき、ちょっと鳥肌たっちゃったです。
この最後の場面に遭遇したとき、「兵十はひどい」って思う子供もたくさんいるのです。だって健気なごんを殺してしまうんですから。
でも「ごんもかわいそうなんだけど、兵十も、、、なんか悲しい。。。」って言ったその子は、まさに、ごんのようにひとりぼっちでいることが多い子だったので、あぁやっぱりと思いました。

さて、
最後の最後の授業で
「兵十は、ひとりぼっちだったと思う?」って子供っちに聞きました。

子供っちは
「違う。ごんがいた。」と言いました。
それから、
「だから、これで兵十は本当のひとりぼっちになったんだ。」
と言いました。

短期記憶というのが苦手な子達なので、何度も何度も本を読み、何度も何度も振り返って(ドラマのダイジェスト版てゆうか、最終回の前におさらいみたいな感じで)最後の場面を迎えました。なんと、最初にこのお話を読んであげたにもかかわらず、最後の場面でごんが撃たれるとき
「え!!」
と言った子もいました。(忘れちゃうのね。)

今回は、なぜか私も最後の場面を読んでいるとき、ごんがばたりと倒れ、目を閉じたまま兵十の「おまえだったのか。」の問いにうなずく場面では、泣きそうになっちゃった。あははは。プロ意識低すぎるわ。

ところで、私は大人で曲がったやつなんで、実はごんぎつねが好きなのは、ごんは超ストーカーの王道いってるねって思うからでもあります。健気なんだけれど、あちらこちらで常に兵十を見ているごんって、、、人間だったらストーカーじゃないのかい?とかツッコミたくもなります。また、新美南吉さんの草稿では最後のうなずく場面では
「ごんは、うれしくなりました。」
と書かれているそうです。まさに、死んで尚、人の心で生き続けていくということでしょ?

そう考えると、きっと新美南吉というひとは、そこまで想う大好きな人がいたんだろうなぁって想います。
以前教えた4年生には、「ちょっとこれ、ストーカーじゃないの?」なんて言ってる子もいたし、ある女の子は「これって、恋だよね?」なんてつぶやいていました。どれもステキな深読みです。

大人になるとなかなか読まない絵本だったりしますが、ごん。。。いかがですか?
大人のみなさんだったら、どんな風に読むのかなぁ〜。

と、、、私の仕事のことを久しぶりに書いていますが。

先日「あぁ、私達は最前線にいるなぁ。」と想うことがありました。

以下、ちょっとやばやばなんで、白地で書きますので、、、、読みたい方は久々例のやり方でどぞ。

教育委員会の人が「きみがよの指導をしているところを見たい。」と言ってきました。なんだよ。自由民権運動のときの警察か!と叫びたい。
今、教育現場はこうです。

約10年前に「きみがよ」は「国歌」として指導しなければならないという法律ができて「指導要領」にそれが明記されました。だから、これを指導しないと法律違反らしい。
私は、音楽の先生の端くれなので、大きな行事で国歌の伴奏をするお仕事がよく回ってきます。

私の考えは昔から一緒。

第2次世界大戦の時に、日本が不幸にしたアジアの国々の人達はきっとこの歌を歌うことで悲しいことを思い出すにちがいない。そんな歌は、「音楽」と認めない。だから弾きたくないし、歌いたくない。

でもね。
もはや、背に腹は替えられないのです。
さすがの香取もです。
だけど、「魂」は売らない。
売らないけれど、私は大きなうねりの中に足を取られ始めているんじゃないだろうかと想います。

たったひとつの抵抗は、この歌を子供達に歌ってもらうと同時に、ずっと夏から歌い続けている「たんぽぽ」という歌を教育委員会の人に聞いてもらうということでした。

たんぽぽが咲きました
土手にすっきり咲きました
空襲の焼け跡に すっきりと
命を懸けて咲きました

「きみがよ」を教育委員会の人が見に来るという日の朝、子供達と最後の練習をしたとき
「今日は、たんぽぽの代わりに、たんぽぽの想いを歌って下さい。
 空襲の焼け跡に、命を懸けて咲いたひとつめのたんぽぽの気持ちになってね。」
子供達にそうお話ししました。

これが、私の抵抗で、これ以上のことを子供達には伝えられない。
これが私達の今いる場所です。

なぜ日本人がこんなにもこの歌に固執するのか、意味わかんない。
ナチスが政権を失ったとき、ドイツは国歌を変えた。日本もそうすべきだったと私は想っています。

それでも、ぼんやりしていると
私は知らない間に、長い行列のどこかに並んでて
その行き先を見失ってしまう。
自分がどちらの方向に向かって歩いているのかわからなくなってしまう。
そんな想いでいっぱいです。

大きな流れに巻き込まれそうだけれど、
あの日、この先数十年間植物は育たないと言われた広島に咲いた
一輪のたんぽぽのように
凛としていなければ、、、そう想います。

だけど、ふざけて笑って、お金のために働いて、遠征を繰り返している香取も、私です。

これが、今の香取の仕事。


読んでくださってありがとう。
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