日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
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スタンディングで「ブラボー!」って叫びたい
2012年04月14日 (土) | 編集 |
たぶん、私はNYエンターテインメントなんてカテゴリーで日記を書くのは、これで最後になるのかしら。

千里さん。
最後の卒業試験を終えられ、5月に卒業式だそうです。
おめでとうございます。

遙か遠く離れてしまった、
日本の北の国で
立ち上がってブラボー!って叫びながらの拍手を贈りたい気持ちでいっぱいの香取です。
2008年の6月。
まだまだ片付かないアメリカの家の2階で、荷物を片付けていました。
その中のひとつの段ボールには、いっぱいCDが入っていました。

新しくIKEA(出た!あのアイケアさんだ!)で買ったCDラックに、どんどん詰めながら、大江千里さんのCDがいっぱいあることに気付きました。
なぜなら、私は一時期、とっても千里が好きでね~。レコードの時代ですわ。復刻されていない最初の頃のアルバムは、全部レコードなくらい昔でした。

詩人だな~って想う。
彼の触れられそうで触れられないような、
きっと私と同じ気持ちだって想いながらも、掴むことも見ることもできないような
そういう彼の詩が私は大好きでした。

「千里は今、何してるのかな?」そう思って、すぐに検索しました。
そうしたら、「大江千里は休業してニューヨークでジャズの勉強をしている」という情報を入手しました。

私は、アメリカに来て約1ヶ月を過ぎ、道に迷っていました。
英語の勉強もしたい。
だけど、アメリカでいちばんやってみたいことは「音楽」だ!って、その日、家族と喧嘩もしていました。
「あんた、何のつもりでアメリカに来てるの?」とか言われていました。
まぁなんちゅうでも駐在の奥さんですからね~。爆!

千里がニューヨークにいる。
しかも、ジャズの勉強を本気でやってる。
50歳に間もなくなろうという彼が、全てのキャリアを日本に置いて、誰も知らない場所で一から歩き始めてる。

その事実は、私にとって「光」でした。
アメリカには「ラストチャンス」がないと言います。「やりたい!」って想ったら、それがチャンスの始まりなんだってアメリカ人は言います。
だけど、英語の話せない私が、アメリカでジャズピアノを勉強することができるのかしら。
知り合いの音楽の先生は、私にマンハッタン音楽院のパンフレットなんかくれるけど、「そりゃ無理無理やん。」ってぼんやり見つつ。
お金もかかるし。。。
だけど、ちょっとでいいから勉強してみたいって想っていた頃の私。
想えば、あのときももがいてたな~。あはは。

千里(なんて、今時言っていませんよ。千里さんって言っています。)のブログを探し当てました。
彼は、本気の学生でした。
英語でジャズのセオリーをやり直すって、そんなのもう想像つかないくらいの茨の道です。
必死で仕上げたインプロヴァイズを譜面にしていったら、先生に目の前で破かれるっていう下りなんか、、、もう、、、ほんと。。。なんていうか、、、うわ~。。。って言いながら読みました。

アメリカは何歳であっても、対等に接してくれる。
大人の人も、若い兄ちゃんも。
キャリアを全部日本に置いてきた千里さんは、たっくさん挫かれることもあるんだろうな。。
私自身、多くの決まり事や日本という国やとにかく色々なものに守られてアメリカで生きてて、「よわよわじゃん」って想いつつも、それでもたくさん心挫くことがあった。
自分一人で歩いてる千里さんは、どこでどんな風に生きているんだろう。
会いたい!
会って話したい。

ニューヨークの街角を歩くときは、私は3年間ずっと千里さんと会えないかなって思いながら、歩いていました。
地下鉄に乗っても、
地下鉄の階段を歩くときも。
ストリートで
劇場で。

いつか会って、話したいんだって想ってた。

3年目に、
ほんとにストリートで煙草吸ってる千里さんの姿を見たときは、夢が叶った~って想ったものです。

千里さんががんばってるな~って想いながら、私もちょびっとジャズの勉強をしていました。
全然、格は違うし、立ち位置も違うし、目標も違う。
全部違うけれど、同世代の千里さんが同じ空の下で、同じような風の中で、がんばってるその背中を、相当に離れた距離から追っている感じでした。
うん、そう。
私の3年間のアメリカ生活には、千里さんがいました。

学生さんだったから、ギグも決してブログでは発表されませんでした。
やっと私が帰国する最後の年の9月。
9,11のときに、初めて彼はみんなの前でピアノを弾きました。

学生としても外に発信することが許された時期がやってきたのでしょうね。その後は、少しずつライブをされるようになり、私はブルックリンやらマンハッタンやら、千里さんのライブがあるって言うと飛び回っていました。

最高に好きだったのは「モーニング息子。」
最高のビッグバンドでした。(今日、ブルーノートでコンサートですって!なんてなんて素敵なこと!!)

もう私が帰国をするその年の後半に、やっと人前で弾かれることを始められた千里さん。
アーティスト大江千里ではなく、学生としての立ち位置をきちんと守られての、その中でのパフォーマンスの始まりだったと想います。

2月の雪のいっぱい降った日。
最後に千里さんのライブに行きました。
私に用意されていた席は、千里さんの真後ろの席で、大きな背中の千里さんがアップライトピアノに向かうのを、
「あぁ、私の3年間のまとめだ。」
と想いながら見ていました。

ジャズピアニストとしては。。。
ごめんなさい!正直に言うと、香取の習っていたディアンナの方がすごい!って想った。
それがニューヨークでのキャリアで、それが実力の世界だと想った。

だけど、私は千里さんの「その生き方」が好きだったし憧れてた。

千里さんは、私のニューヨークの光でした。

とっておきの私の言葉を、千里さんに言って握手をしてもらって帰ってきました。

あの後、震災が起こり、
そして千里さんは日本人のアーティスト「大江千里」として多くのチャリティコンサートを、ニューヨークでされました。
それはもう、このタイミングなんだ。。。って納得いくことだった。
阪神大震災で故郷である神戸のために多くのチャリティをされてきた千里さんが、ニューヨークで母国を想い、彼がスタートを切ったばかりのジャズでチャリティコンサートをされる。
なんだか、私はもう日本に戻ってきていたけれど、あぁこのタイミングを神様は用意されたんだな~って想っていました。

なんとなんと、この冬には、香取の住んでいた、、、しかも香取の家族のお仕事していたところでコンサートもしちゃったんですよ~。
うわ~~。。。それってなに?なに?って驚きました。
だけど、これもタイミングなんだと想います。

うちの家族と、もし私達がまだアメリカにいたらどうだっただろう~なんて話したけれど、そこじゃなかったんだな~って想います。
私は、もうそりゃぁ必死で彼をニューヨークのストリートを走り回って探し、やっと見つけて私の想いを伝えた。
あれはあのタイミングでね。
あの9,11のあのタイミングだったんだと想う。

あれ、何を書いているんだろう。

ずっとずっと近くからも遠くからも、千里さんが歩いて行く姿を応援していました。

新しい職場に行って、音楽からす~~っと遠くに追いやられている香取が、先週のジャズピアノのレッスンで、指が動かない~~って反省した。
私のジャズピアノ、もう1ミリくらいしか残ってないって反省した。

そこにまた「渇!」を入れられるような、大成長を遂げられた千里さんの「卒業」。

私も弾きます。千里さん。
ピアノにもう一度愛してもらえるように。

そして、
卒業演奏会のご成功、心よりおめでとうございます。
もし、私がその姿をマンハッタンの街のどこかで見ることができたら

ブロードウェイの劇場で真っ先に立ったあの時みたいに

スタンディングで
ブラボー!って叫んで拍手します。

いつかまた、会えるときに
恥ずかしくないように生きよう。
生きよう。
コメント
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2012/04/15(Sun) 09:01 |   |  #[ 編集]
4年も見守ってくださっているのですね
>ヒミツのUさん
コメントありがとうございました。

千里さんはすごいですよね。
若い学生さん達と一緒にやられていますが、周りの方達はYouTubeなんかで昔の映像見るまで、千里さんが日本でどんな活躍をしていたか全く知らずに、一緒に勉強されていたそうですよ。
そういうことができる。アメリカ。

2年前の9月にお会いしたとき
「日本へは?」ってお尋ねしたら
「まだ何も考えてないですね。」っておっしゃっていました。

まだまだ、千里さんは夢と冒険の旅が続くのですね。かっこいい。
私達もでかけましょう~!
2012/04/15(Sun) 11:16 | URL  | 香取 #-[ 編集]
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