日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
肝苦しさ(ちむぐりさ)
2010年07月05日 (月) | 編集 |

太陽の子 (角川文庫)太陽の子 (角川文庫)
(1998/06)
灰谷 健次郎

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そっか、角川文庫から出てるんだね。
私が、何度も何度も読み返す灰谷健次郎氏の著書は、この「太陽の子」と「私の出会った子供達」です。
私が持っているのは新潮社のものです。

「新潮社の写真週刊誌「フォーカス」は、少年法に違反し、当時中学3年生であった加害少年の写真を公開した。これに対し灰谷は、「加害少年も保護されるべき存在」であるとして、「フォーカス」関連記事への抗議のため執筆拒否を宣言する。同時に灰谷は彼の代表作である大河小説『天の瞳』(後に角川書店より再刊行)を含む全ての著作の版権を新潮社から引き揚げた。」(ふろ~む Wikipedia)

「太陽の子」は沖縄戦のことを書いた長編児童文学です。

「沖縄には、かわいそうなんていうことばはないんじゃ。」

「肝苦しさ(胸が痛む)か。」

「口先だけでかわいそうなんていう奴ほど、痛いこともかゆいことも何にも感じない奴や。痛いこともかゆいこともないことをいうてるから、痛い目にあう人間はちっとも減らへんのや。この人は病気で死んだんのとちがうねんで。餓死したんともちがうねんで。痛いこともかゆいこともないことをいうてる奴に、寄ってたかって殺されたんやでえ。」(「太陽の子」灰谷健次郎著より)

本日、超長いです。
携帯でご覧の方は、確実に充電切れることまちがいなし!

「ほら、ここに書いてあるやろ。陸戦史研究普及会編の『沖縄作戦』によれば、4月30日には20万6750人、5月31日には23万8669人に増えた。この巨大な米軍は1500隻余の艦船に便乗して沖縄を襲ってきたのである。。な、ふうちゃん。この1500隻の船の中には飛行機を積んでる船も、戦車を積んでる船も、大砲を積んでる船も含まれているんやで。」
「日本は?」とふうちゃんはたずねた。

「陸軍兵力約8万6400人、海軍兵力、約2万人。他に火力として火砲が25門。噴進砲が20門。迫撃砲が50門。各種の機関銃がおよそ300ほどあった。。。こんなもん、戦争になるかい。沖縄の人間は勇敢にたたかったけど、こらどうもならんわ。」
・・・・
「はじめから、沖縄を守る気なんかなかったんや。沖縄は皆殺しにされたんや。ヤマトーの奴は、いつだって沖縄を見殺しにして、自分だけ甘い汁を吸いよる。むかしからずっとそうや。今だってそうや。これからもそうや。」
(「太陽の子」より抜粋)

灰谷先生。
私にとって「先生」と呼びたくなる人。学生の頃、何度も私の大学に彼が講義に来てくれたからです。お話をしたこともないし、いつもこっそり遠くから彼の話を聞いていた一ファンでした。(一度だけ「サインを下さい」っていいました。「兎の目」にサインをもらいました。)
「学校の先生になりたい」と思ったときも彼の著書を読み(私が大学生の頃、灰谷先生は大阪の小学校の先生でした。)、辞めようと決心するときは「灰谷先生、もう辞めてもいいですか?」と彼の本を読みながら問うていました。

教師を辞められたあと、執筆活動に入られて淡路島から沖縄は波照間島へ移り住まれます。
そこで何年も暮らされました。沖縄でひとりぼっちのとき、優しい沖縄の人にたくさん出会い、助けられ支えられ、そして、そこで沖縄戦の事実をたくさん受け止められて、この「太陽の子」が生まれます。(会話が関西弁なのは、彼自身が神戸の出身であり、神戸に沖縄から出てきた人々のお話だからです。なぜ、彼らが沖縄の言葉でなく関西の言葉を話すのか、、、それは、そうやって言葉を変えなければ、そこで生きていくことができなかったから。)

お友達と沖縄の話をしていたら、翔ちゃんのZEROでの沖縄戦レポートがあった。
それからすぐ「慰霊の日」がやってきた。
何かカードがそろうように私の前に久しぶりにやってきた「沖縄」に、もう一度向き合おうって思いました。
いいえ、今、向き合えということなんだと思ったのです。

それで、私は10年ぶりにこの本を読もうと思い立ったのです。
翔ちゃんのZEROは、もうだいぶ前にお友達が送ってくれていて、しかもちゃんと見逃さないようにその日だけ「沖縄戦」ってメモをつけてくださっていました。ありがたいことです。
だけど、今まで見なかったのは、、、私は、やっぱり弱い人間なので、、、あんなにもライフワークのように沖縄に向かい合っていた日々があったのに、それをきれいにどこかにしまい込んでいたからです。

「ようきけよ。ふうちゃん。ふうちゃんが沖縄のことを知る気になってくれたことはとてもうれしい。けどな。ふうちゃん。沖縄を知るということは、ただ沖縄を知るということだけの話やない。沖縄を知るためには、ずいぶん悲しい思いをしなくてはならないし、恐いことにも耐えなくてはならんのや。大人はどうにかこうにか耐えることができるけれど、また耐えてきたんやけど、子供には無理なところもある。沖縄のことをなにもかも知るにしては、ふうちゃんはまだ小さすぎるのや。それ、わかってほしい。」(「太陽の子」より抜粋)

いみじくも「燕のいる駅」の中で高島が「なぜ、自分は知ろうとしなかったのか。」と自責の念にかられながらラストシーンを迎えます。その気持ちが私はあのとき、とてもよく理解できました。
できればおもしろおかしく人間は生きていたい。
辛いことよりも楽しいことの方がいいに決まってる。
重い気持ちを抱いているよりも、軽やかに歩いていきたい。
刹那的に生きていたい。。。それでいいじゃない。
私の心の中にも、いつだってこんな気持ちがあって、たぶん本屋さんで手が震えて戦争の本を手にすることができなくなった頃から、そうやって自分が傷つかないように自分を守っていたんだと思う。

でもね。
翔ちゃんが沖縄の取材に行った。ひめゆりの生き証人の方からお話を聞いた。
へぇそうなんだ。じゃぁ見よう見よう!。。。ってこと、できなかったんだ。そんな私でも。
ちゃんと沖縄に向き合っていない今の自分は、きっと翔ちゃんよりもだめだと思った。(いや翔ちゃんはだめじゃない)なまじっか知ってるから、翔ちゃんのようにスポンジみたいにぎゅ~~~っと、あの方の想いをね。
全部受け取ることは私にはできないって思ったんだ。

「太陽の子」
ふうちゃんのお父さんは、沖縄南部で鉄の雨の中を逃げ回った人。
同じく沖縄出身のお母さんと神戸で「でだのふあ(太陽の子)」という沖縄料理店を営んでいます。だけど、ふうちゃんが6年生になってお父さんの様子がおかしいのです。心の病気です。いつも何かに怯え、いつもそこからふうちゃんのことを助けようとする、そういう発作が起きるようになってきます。
そして、そのお店に集まる沖縄の人達がいます。
ロクさんは、壕の中で自分の子供を殺し、そして手榴弾で自決しようとして死にきれずに腕を失った人。
今も愛するわが子を殺してしまったその腕が、毎日のように自分を打つことに苦しんでいる。
でも、ふうちゃんの周りには沖縄から神戸に集団就職できたり、優しい人達がいつも集まっています。神戸生まれのふうちゃんは、ずっと自分は「神戸党」で、「沖縄党」にはならないよと思っていました。でも、そこで出会う沖縄の人達の優しさ、、、それから苦しみを知っていく中で「本当の沖縄のこと」を知りたいと思い始めます。
この本は、そんな大長編児童文学です。

だけど、ふうちゃんは、沖縄の歴史を知ろうとすれば知ろうとするほど、それは沖縄戦を体験した人達の心をえぐるような作業であることを知っていきます。
「教えて」と言って、「いいよ。それはね。」と誰もがどんどん懐かしく思い出せるようなことではないからです。沖縄であったことを誰かに話すというのは、それはその人がもう一度そのことに遭い、もう一度そのことを、そのむごい体験をするということだからです。

だから、翔ちゃんが出会ったあの沖縄のひめゆりの人の言葉は、並大抵の言葉じゃない。
あの言葉を、あれだけわかりやすく後の世の人に彼女が伝えることができるようになったのは、むごい体験を繰り返し繰り返し思い出し、ウジの湧いた友達のことを何十回も何百回も、何千回も思い出し、自分を責め続けたその姿に違いないのです。

翔ちゃんがその強い想いに圧倒され、なにも答えられなかったこと。
私はそれが最高のリアクションだった、、、って彼の表情を見ていて思いました。
28歳の彼には、それでいい。それがいい。
もちろん、私と同じ世代の村尾さんが「私だって言葉を失う。」ってスタジオでおっしゃったように、私も絶対にあの壮絶な話に言葉を返すことは絶対に絶対にできない。

それでも、伝え続ける彼女の中にあるのは
ウジが湧いて亡くなっていった親友達への、謝罪や自責や
おそらくそれをずっとずっと、65年間も彼女は抱きながら生きてこられたということなんだと思う。
その壮絶さと、苦しみの大きさ。。。

「若杉にお父さんがいないといって同情するのはやさしいが、そんな同情は本当の友情かな。ほんとうの友情とは、まず、若杉のお父さんの苦しい歴史を知ることだ。知ったなら、考えることだ。そして、自分の生き方にそれを生かすことだ。」(「太陽の子」より抜粋)

ふうちゃんの担任の先生からふうちゃんへの手紙です。若杉ときこちゃんは、ふうちゃんのクラスメート、お母さんと妹と暮らしている。お父さんは戦争が原因で早くに亡くなった。自分は精一杯生きている。だけど、梶山先生はそのことちゃんと解ってくれていますか?という手紙を担任の先生に出すというくだりです。このお話は、ふうちゃんの担任の先生が沖縄のことを一緒に知っていくということも、大切なお話の流れなのです。でも、梶山先生は、ふうちゃんにとって「よい先生」であっても、全ての子供達にとってほんとうに「よい先生」であるのか。担任の先生が苦悩する場面です。

ただ、私は「知る」ことが何より大切である、本当にそうだと思います。
翔ちゃんは、もちろんちゃんと沖縄のことをお勉強してあの場所に行っていると思います。
だけど、返す言葉を失った。
きっと彼は扉の前に立ったばかりで、そこから先は彼が「考える」という段階にどれだけ進めるのか、、ということなんだろうな。。。って思いました。
私ね。
翔ちゃんの何でもできるところが好きです。
ダンスもラップのリリックも。頭がよくて新聞を読んでて、キャスターである。
だけど、ああやって苦しむ翔ちゃんはもっと好きだ。
「ある年齢層の人に、僕、櫻井翔の言葉が伝われば。」と言っていたように、その表情が「突破口」になればいいと願うばかりです。

この「太陽の子」の言葉たち。
これはもう30年近く前の言葉です。
その後、沖縄は全ての苦しみを解き放つことができたのか。。。それはまだ続いていると思います。
ふうちゃんのお家のお客さん「ギッチョンチョン君」が言うように
昔からそうや、ずっとそうや、これからもそうや。。。

今も尚、政治の道具と使われる沖縄。
戦争は65年前に終わったことではなく、それはその後も続き
今も続いているんだと思います。

教科書から、どんどんと平和教材がなくなっていることご存じですか?
私が10年以上前に教えてた「そして、トンキーはしんだ」も「おかあさんの木」も消えました。わかりやすく、具体的に、むごい戦争を伝えるお話は静かに消えていきました。
そして、代わりにまるで「昔話」か「ファンタジー」のようなつかみどころのない物語が、なんとなくそこに収まっています。

私は、うやむやにされようとしている今の状況がとてもこわいと、現役時代思っていました。
子供達が知るチャンスが減っていく。
それは、判断の基準を失うと言うことです。

ひめゆりの塔の学芸員さんがおっしゃっていましたよね。
「65歳以下の全ての方に知って欲しい」と。
その通りだと思います。大人だからって知っているわけではなく、もう今や、大人も子供も殆どの人間が知らないまま生きて歩き続けている。
学芸員さんの言葉が私にはものすごく突き刺さりました。
「だけど、体験していないから伝えるのがむずかしい。」という彼女らの言葉は、
それでも、ウチナンチューの、心からの言葉なんでしょう。

マンハッタンのハドソン川に浮かぶ空母インテルピッド。
そこに入って始めて知った。この空母は沖縄戦に参加している。
あのとき、7割がアメリカ軍の船で、海が3割しか見えない、、、と言われたその1500隻の1隻だ。
そして、その船内にはどれだけたくさん日本の飛行機を撃ち落としたか、、、という星取り表が貼ってある。
これが、アメリカの戦争なんだと思うと愕然とする。だけど、そのことも事実として捉えなければならないのです。

ひめゆりの方がおっしゃっていましたよね。
「国のために死ぬことが大切と教えられてきた。だけど、友人を多く失って今思うことは、生きることこそが大切なことだ。」って。

そして、私ね。
やっぱり「教育」は、だから大事なんだ、、、って思います。
子供達が知るチャンスは、今、一体何処にあるんだろう、、、、
また「国のために死ぬことが大事だ。」と子供達に伝えることは、もう決してしてはいけないことなんだ。
だから、教育は絶対的に必要なんだ。
平等に、
本当のことを知っていくことは、子供達の「権利」だと強く思います。
そして、私達大人だって知ろうという気持ちを持ち続けなければならないと。

「・・・・どうすればいいのかわからないのに、私は今、すごく知りたいのです。おとうさんのこと、おかあさんのこと、おじいちゃんのこと、キヨシ君のこと、ろくさんのおじさんのこと、ゴロちゃんのおじさんのこと、ギッチョンチョンや昭吉君のこと。みんなはわたしをとてもかわいがってくれます。わたしをかわいがってくれる人を、わたしがよく知らないとしたら、わたしはただ人に甘えているだけの人間になります。わたしをかわいがってくれる人は、わたしをかわいがってくれる分だけ、辛い目にあってきたんだということが、このころのわたしには、なんとなくわかるのです。

だからいっそう、みんなのことを知りたいのです。
知らなくてはならないことを、知らないで過ごしてしまうような勇気のない人間に、わたしはなりたくありません。
そんなひきょうな人間になりたくありません。
先生、お願いです。どうか私と一緒に考えてください。学校の勉強のためではなく、わたし自身のために、どうか私と一緒に考えてください。」(「太陽の子」より抜粋)


今や現役を退いた香取です。
だけど、もしもここで立ち止まってくださった方に何かを伝えることができたら。
もう亡くなられた私の大尊敬する灰谷先生のお力をお借りして、アップさせていただきました。

読んでくださって、心から感謝です。
ありがとうございました。
そして、この世界に本当に平和な日がやってくることを祈ります。
そして、私自身が自分が傷つくことを恐れず、もう一度子供達の前に立てますように。
コメント
この記事へのコメント
・・・
私の知る限り、いままでジャニーズのメンバーで、政治的社会的に発言や行動を、表立ってしてきた人たちはいなかったように思います。作品は別として・・。
だから翔くんの、レポートは重かった。そしてようやくここまでたどり着いてきたのかと、「祈り」にも似た「願い」をもつ自分もいます。

人それぞれ、主義思想は違いますし、尊重されるべきですが、「知らない」ということは罪ではないけれど、「知った」からには「知らないフリ」はいけないのだと、人生の大先輩に教えてもらいました。

井上ひさしさんの「ムサシ」も、メッセージが鋭く突き刺さってくる作品でしたが、声高に主張しなくても、一度刷り込まれた価値観はそう簡単には消えないと思います。
だからこそ、子どもたちには命の尊さをまず教えてほしい。そして、テレビを通しても、嵐をはじめ私の大好きな青年達にそんなメッセージを発信し続けてほしいと願ってしまいます。

なんだかエラそうにごめんなさい・・香取さん。。
私もちょっと精神的にハードなのかな。
そんなときに、奇跡の一服!!「嵐ちゃんオンパレード」で、乗り切ってますわ、わたし。
2010/07/05(Mon) 23:33 | URL  | クレイン #-[ 編集]
ムサシ
>クレインさん
うわ。。。すごい。。。
クレインさん!
今週、水曜日から、私、、ムサシを3回も見に行くんです!
ニューヨークのリンカーンセンターフェスティバルのオープニングがこの蜷川作品です。
いい気になって3回もチケット取ったけれど、ひとりで行くので帰りがこわいな~。。。インターミッションで帰ろうかな。。。とかずっと考えていたところでした。
なんだか、これってすごいシンクロニシティですね。

「知らない」ということは罪ではないと思います。
ただ、、「知らない」ことで相手を傷つけるということがあります。
たとえば、北海道の話で言うと、本州では考えられないような差別用語が残っていたりします。また、本州で今だ続いているような「差別的なこと」を、全く大人も子供も知らなかったりします。これは、本州出身で北海道で教員になった私にとって驚きでした。
だから、「知る」ことが必要なんだ。。って私は思うんですよね。ごめんね。私も生意気で。

もし知らないで北海道の子供が本州に行き、その言葉を話したら。
知らないで誰かを傷つける。これは罪じゃない、、、とは、私はやっぱり思えないの。
だから、私は「教育」は大切だと思うのね。

沖縄も、綺麗な海や空、優しい人達、そこはまるでパラダイスみたいだけれど、だけど日本人としてそこは「楽しいだけの場所」じゃないことを私は知るべきだといつも思っていて、、、長々書いちゃいました。

翔ちゃんが、突破口になってくれたら。
だけど、それは28歳の青年にはまだまだ重いだろうな。だから、「言葉を失った。」と彼が言ったときの村尾さんの表情や言葉が、なんだかありがたかったです。

私も昨日、しやがれを見て大爆笑しちゃった。嵐はいいな~って思いながら。
こんなコメントしづらいところにコメントしてくださって、ありがとうございます。感謝です。
私こそ生意気返し?爆!しちゃってごめんなさいね。
嬉しかったです。
2010/07/06(Tue) 00:56 | URL  | 香取 #-[ 編集]
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