日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
”I'm on your side.”~神戸新聞の7日間~
2010年02月04日 (木) | 編集 |
I'm on your side
サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」の中の一文。

「僕は、君の味方だよ」

阪神大震災から15年たった今年。

翔ちゃんのドラマ「神戸新聞の7日間」をやっと見ました。

ティッシュ何枚使うねんって言うくらい泣きました。
神戸は大好きな街でした。
きっと、関西に住む人間なら、みんな大好きな街です。

よくこのブログに登場する札幌在住の従姉妹。(私と6年前から一緒に嵐コンに行ってくれている。)
彼女の家族は、札幌に引っ越すまでずっと神戸に住んでいました。
私の小学生の頃。
今でもこの住所をなぜか忘れない。二人会うといつも話します。
神戸市灘区篠原中町4丁目。

阪急電車の六甲駅を降りて、線路沿いに行くと彼女のお家があって、目の前には大きな川が六甲山の方から流れていました。
途中にあった不思議な洋風ホテル「六甲ホテル」。私達にしたら、ちょっとお化け屋敷?的なイメージでした。
川にはなんの柵もなく、しかも水の流れは相当に下の方にあり、、、今思うと、よくそんなところで私達は走り回ったり自転車に乗ったりしてたな、、、、と。
昔子供はすごいね。

阪急電車の鉄橋の下をくぐって、国鉄(JRですな)の方へ行くと、ちょっと懐かしい(この話自体なつかしい)商店街があって夏は夜店が出ていました。ダイエーの大きな建物があったっけ。

川沿いに山の方へ登っていくと、私のピアノの先生のお家。
当時、私は枚方市に住んでいたので、京阪電車、地下鉄、阪急電車と乗り継いで、ここまで通っていました。
山の手のステキなお家に、グランドピアノ。

阪急電車の中は、西宮北口を過ぎた辺りから外国人の方も多くなり、、、神戸の街は、小さい香取にとって、ちょっと不思議な空間でした。(いつも、外国人の人に話しかけられないか、、、どきどきしながら電車に乗っていました。今でもね。爆!)

大人になると
「今日、どこに買い物行く?梅田?河原町?三宮にしょうか?」
みたいな感じで、神戸は私達のショッピングの街でもありました。
JRで元町まで行って、そこから山の手の方に家並みを見ながら登っていきます。
その坂道が好きだったな。
途中、中山手カトリック教会にこっそりしのびこんでみたり。
三宮に近くなると、西山珈琲店(でしたよね?)で、すっごい高いコーヒーを飲んでみたり。(たしか、山のきれいな水を使っているコーヒーでした。)
それから、フロインドリーブ。。。ここのパンは、すぐ売り切れちゃうんだよ。
日本では、他にあるのかしら、、、、ユダヤ教のシナゴークなんかも建つその町並みが大好きでした。
もちろん、異人館もよくお邪魔しました。
公開になっている異人館以外にも、すてきなお家が当時はいっぱいありました。

もちろん、神戸新聞の建物は、当時私達が何度も目にしていた建物だった。(このドラマの中で彼らを助け続けた京都新聞は私のもうひとつの故郷京都市の街で、私が何度もその前を通ったところです。)

もうどの道を歩いて、当時の私が神戸を楽しんでいたのかも覚えていないけれど、
そう、神戸は私にとって大好きな街、思い出のいっぱい詰まった街でした。

1995年1月17日。
阪神淡路大震災。

一体どないなってんの?神戸の街、どないなってんの?
あの日、翔ちゃんがやらせてもらった三津山カメラマンさんが、山の上に立って長い間誰とも話せなかった、、、というように、あの日の惨状は私にとっても本当に衝撃的で、胸が張り裂けるような想いがつのるものでした。

当時も、泣けて泣けて仕方なかったです。
日が過ぎるに従って明らかになっていく被害状況、被災者の方達の数を目の当たりにしながら、遠い北海道で私は神戸を思っていました。
札幌の従姉妹とも「どうなってるんやろう。今、どないなってるんやろう。。」とよく話していました。

このドラマは、ほんとに、、、泣けて泣けて仕方なかった。
今回は、もう翔ちゃんがどうのこうの、、、じゃなかったです。
いえ、翔ちゃんが、全然翔ちゃんオーラを出さずに、あの役を素直にやってくれてよかった。
ベテラン俳優さん達のもつ空気を全く乱すことなく、三津山カメラマンとして存在してくれてよかった。

そして、彼のナレーションが、素晴らしかったと思います。
事実を伝えるアナウンサーさんの声と、三津山カメラマンの「想い」を被災者として伝え続ける翔ちゃんの声。
とても穏やかに、事実を伝えている翔ちゃんのナレーション。私はとてもよかったと想います。

どちらかと言うと、翔ちゃんの演技は、「パワー」が強すぎると想うことがあります。
これまで、キャラクターの強い役をやってきたからか、「普通の青年」っていうような演技があまりないように想うの。だから、この役は、、、どうか、、、ってドラマの最初には想いましたが、涙を流しながらシャッターを切る場面も、惨状を前に驚愕するその表情も、とてもよかったわ。(誰やねん。私)

当時も、神戸新聞ががんばってるんやっていうのは、私もニュースだったか番組だったかで見て記憶してます。
それは、相当な厳しい日々の中で行われていた。。。それも当時、理解しようとしていたと想います。
15年経って改めてこのドラマで、神戸新聞や新聞を取り巻く販売所や工場の方達の計り知れない努力を見せてもらった気がします。
神戸新聞を取り上げて、三津山カメラマンに翔ちゃんを抜擢したフジテレビさんにも拍手です。

翔ちゃんは、報道陣のひとりとしてとてもよい体験ができたのでしょうね。
キャスターとして、伝えるべきは「真実」であって
彼自身がよく言う「ある世代には伝わるんじゃないか」ということを
この役を通してまた伝えることにもなっただろうし、何より彼自身が「報道マン」としてどうあるべきかという姿勢を改めて持ちなおしただろうなと勝手に想っています。

それにしても、自分の愛する街がこんな風にめちゃくちゃになってしまうというのは、どういうことなのか。
家族も置いて、報道の仕事を全うするってどういうことか。

そりゃ、私達教員(今はぷー)も地震があったら、家の片付けは置いといて(とりあえず家族が無事ってことを確認したら)学校に出動でした。なぜなら、学校って「避難所」になるからです。
自分自身が被災者であっても学校が避難所になる以上、そこに出動は「義務」と想っていました。

あの阪神淡路大震災の時も、ずいぶん長い間、多くの学校が避難所(というより、もう仮の住居)になっていました。先生達が炊き出しの配布をしたりしているのをテレビで見て、、うわ~、、、私にできるだろうか、、、って想ったことを思い出します。

そりゃ、私も自分の街で地震があって学校が避難所になったときは、市役所の人と一緒に毛布の用意をしたり、、絨毯を敷いたり。そういうこともしたけれど、神戸の先生達は全く自分を投げ打って、市民のために尽くされてるな。。。ってあの時想いました。
私にはできない。。
水も出ない、おトイレも使えない。(当時、車いすの人が「できるだけ食べない、飲まないで生活している。」って言っていたのが印象的でした。)
ガスも電気も使えない。車も電車も、交通手段も寸断されている。。。
神戸で、しかも自分も被災者で家族もいるのに、それでも人々のために生きる人達のすさまじい姿。

カメラマンの金居さん、陳さん、小藤さん、そして翔ちゃん扮する三津山さん。
どの方も、涙を流しながらシャッターを切る。
金居さんと若手カメラマンが喧嘩になるところも、たまりませんでした。
どれだけ自分の手を汚せるか、それでも尚、この事実を世の中に伝えたいという想い、
その1枚1枚の写真は、まさに「魂」の写真だったんでしょうね。
ときどき、映し出されるカメラマンさん達の新聞にならなかった写真達が、心に突き刺さってくるようでした。

それから、山本圭さん。
翔ちゃんは、また、素晴らしい俳優さんと一緒にお仕事ができた。よかった。。。

お父さんを助け出すために、その順番を待たなければいけないという場面での山本圭さんの表情は、もう役者さんというのはこんなにもすごいお仕事なんだ。。。って、つくづく思いました。
何も語られないのに、その佇まいと表情だけで、まるで彼が本当の被災者の方であるようにこちらに伝わってくる。

人の人生を生きる。。。ってよく言いますよね。役者さんのお仕事は。
まさに、その通りだなぁと感じました。

あまりにも昨日泣きすぎてしまって、今も何を書いているのか自分でも混乱しています。
香取ブログオタクの方は慣れているでしょうが。。。ごめんなさいね。

神戸の街。
私が大好きだった街。
何年か前に訪れたとき、もう生まれ変わっていました。
その再生した力もすごいけれど、もうそこには私の大好きだった街は面影を潜めていました。
それだけ、街の様相を全て変えてしまうほどの大震災であったということです。

「息子の生きていた証」
この間、私の見た神大の学生さんの番組では、震災後に取材を受けた方がそうおっしゃっていました。

報道というのはそういうことなんだな。。。と、その魂在る神戸新聞の方達のことを思います。

今、新聞を読むという人がどんどん減っているそうです。
ニューヨークタイムズでさえ、その人員削減に乗り出しています。
インターネットが普及し、人々の新聞離れが大きな原因だそうです。

私は、(まぁ、今は新聞を取っていませんが)あまりインターネット情報を信じていないです。
よく小学校の社会科でも「インターネットで調べましょう」というお勉強があったりしますが、それは最後の最後にしていました。

まずは、「人が自分の足で歩いて、その目で見て、そしてその手で書いたものを信じなさい」ってよく子供っちに言っていました。
インターネットの数限りない情報の中から、自分に一番必要なものを選び出すというのは、そう簡単なことではない。まして、子供達にはとても難しいことです。
それが真実であるのか、嘘なのか、それを見抜くことは果てしなく難しい。
手軽なものの中から「真実」を見つけることは、並大抵のことではない。

古くから神戸市民を支えてきた「神戸新聞社」が、決してぶれないその姿勢を貫き通すのを、このドラマを通して知ることができました。とても価値のある素晴らしいドラマだったと想いました。

内藤剛志さん扮する山根編集局長さんが
「三津山。人間、撮っとうか?」
そう何度も言います。

この神戸弁。
小さいとき従姉妹が「○○、やっとうわ。」なんて言ってるのを聞いて、関西弁なんだけどちょっと違うこの神戸弁が好きでした。
私も真似して話していました。
街も好きだった。
言葉も好きだった。
阪急電車に乗るのも好きだった。
六甲駅の本屋さんも好きだった。
遠くに見える海が好きだった。
鉄橋の下の小道のお地蔵さんにご挨拶してから、公園に行った。
台風の時は、風の音がこわかった。

編集局長さんが、神戸新聞に届いたお手紙を読むとき、「Bridge over troubled water」が流れます。
「明日に架ける橋」です。

私の大好きなフレーズ。
「僕は君の味方だよ。」

どんな状況にあろうと、神戸市民のためにその姿勢を貫き通した「神戸新聞さん」の言葉なんだ、、、
そう受け止めました。


When you're weary
Feeling small
When tears are in your eyes
I will dry them all
I'm on your side
When times get rough
And friends just can't be found
Like a bridge over troubled water
I will lay me down
Like a bridge over troubled water
I will lay me down

君が疲れて、落ち込んでいるとき
その瞳に 涙が溢れているとき
僕がその涙を拭いてあげよう
僕は君の味方だよ
どんなに辛いときも
友達が 近くにいなくても
荒れた海に架かる橋のように
僕がこの身体を横たえよう
荒れた海に架かる橋のように


最後になりますが、翔ちゃんが関西弁じゃなくてよかった。
だって、翔ちゃん、、、、とてつもなく関西弁が下手なんだもん。
「黄色い涙」の京都弁、あれ、あり得へんやろ。


コメント
この記事へのコメント
ドラマ見たときも泣きましたが、香取さんのお話を読んでまた泣いちゃいましたよ。
歳をとるごとに悲しい事に背をむけてしまうようになってしまいました。だから翔ちゃんが出演しなければこのドラマも見なかったです。(硫黄島の時もそうでした)
震災時のニュースからではない当事者の方々のお話、知らない事ばかりでした。今まで知ろうとしなかった自分が悲しくなりました。
2010/02/04(Thu) 07:01 | URL  | あざらし #PJcBB3Wk[ 編集]
そうですね。
>あざらしさん
確かにそうです。
もう悲しいことはいやだ、、、って思いますよね。

この阪神大震災の15年目の今年。
やっぱり、ハイチで起こった地震のことが気になります。

私は、このまんまでいいのかな~。。。。って、食べ物を残したり、ちょい高い物を買ってみたりしています。

神戸は、それでも人々の心に大きな傷を残したままの再生、復興なのかもしれません。ご家族や親戚を亡くされた方達の想いは、想像できないですから。

だけど、そういうことを私達が知ることが大切なんですよね?
阪神大震災の直後に、オウム真理教のサリン事件が起こって、神戸の人達の報道がストップしたんですよね。当時。
神戸の方達が、「もっと報道して欲しい」って行っていたことを思い出しました。
事実を知るって、うん。。。大事なことなんですよね。翔ちゃんのおかげで、私もたくさんのこと知ることができたし、色々な事を思い出すことができました。
2010/02/04(Thu) 07:23 | URL  | 香取 #-[ 編集]
いまだに・・・
まだ見てません。

結構、滋賀も揺れたんですが、
朝から流れる神戸の惨状に絶句したのを
憶えています。

電話もつながらないし、
家族、親族、友人の安否が心配で、心配で。

その後、公衆電話からなら繋がると郵便局の方に教えてもらって、
連絡がついて、奇跡的にみんな無事だと確認がとれました。

なんと、弟は、車であの時間倒壊した
阪神高速の下を走ってたんです。(><)

神戸っ子の私は、復興を願い、生まれてはじめて、義援金を振込ました(^^ゞ



2010/02/05(Fri) 17:12 | URL  | まこりん #HfMzn2gY[ 編集]
そうやね~
>まこりん
まこりんは、神戸やね~。
私なんかと比べものにならないわ。。。その気持ち。
でも。
翔ちゃん、がんばってやったよ。いいドラマになってたわ。

まこりん、知ってる?
グーグルマップって、人目線になって道とか歩いていけるねんで。
私、阪急六甲から降りて、篠原中町4丁目歩いてみてん。
そしたら、街は全然変わってたけど、阪急電車の鉄橋とかそこにあったお地蔵さんとか、まだいはった。

私もあのとき、初めて、自分にとって大金を郵便局から振り込んだよ。
それから、ウーロン茶のペットボトルに「阪神大震災義援金」って書いて、小銭を入れ始めた。それがいっぱいになって、それを持って2004年の24時間テレビ行ったわ。
ほんで、空港で捕まりました。
まぁ、そういうオチやね。

いつか、見たってや。翔ちゃんのドラマ。
2010/02/05(Fri) 20:50 | URL  | 香取 #-[ 編集]
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック