日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
忘れないで、わたしたちの戦争
2009年08月15日 (土) | 編集 |
今日、こちらでは夜の8時半から、中居君が司会を務めるNHKさんの番組「忘れないで、わたしたちの戦争」が放送されました。

「私は貝になりたい」という、きっと大きく人生に影響を与えるような映画と出会った彼が「戦争のことを知らない」世代の代表として、話を聞くという番組でした。

SMAPの「Triangle」というの歌の中に
「無口な祖父の思いが、父へと時をまたぎ 
一途に登り続けたひどく過酷な道」
というフレーズがありますが、この国で戦争を体験した多くの方達が、本当に今まで話さないで来られた事実が多くあるんだ。。。ということを思い知らされました。
私の両親は、太平洋戦争時代に子供だったと言う世代です。私の母は疎開っ子だったので、私が小さいときはよくその話を聞きました。
食べ物を買うのに、おばあちゃんがお嫁入りの時に持ってきた着物をどんどん売っていったこと、学校では勉強をしないで農作業ばっかりやらされたこととか、終戦直後に教科書を墨で塗ったことなどなど、、、なかなかにリアルな話を聞いてきました。

叔母は大阪大空襲の中、ひとりで逃げ延びた人です。
火の粉が飛んでくるから、布団を用水路の中につけて、その水を含んだ重い布団をかぶりながら、暗い方へと逃げていくのだそうです。
でも、その重い布団がすぐに乾いてしまったそうです。

今日の中居君の番組では幾つも、とても衝撃的な言葉がありました。

「戦争の本当の事なんて言えないよ。今でも夜中に怖い夢を見て目が覚めるんだ。」

「私も人を殺しました。そうするしかなかった。それは命令でした。もっとどうにかなったんじゃないかと今の時代の人は言うかもしれないけれど、そんなことはどうか思わないで欲しい。私達には、そうすることしかなかった。」

「戦争が深まれば深まるほど、人が死んでも涙が出なくなりました。」

「この戦争に意味があったのかないのか。私が死ぬことへと導いてきた部下や、亡くなっていった戦友のことを思うと、とても意味がないとは言えないんです。」

小学校では、6年生になると「太平洋戦争」についてお勉強をします。

私が2回目の6年生を担任したとき、私は学年の先生達と「社会科」の研究をしていました。
そのテーマは、数ヶ月にわたって太平洋戦争について子供達と学んでいくということでした。
私は大阪出身でもあるので、やっぱり「アジアの人達に日本人がしてきたこと」(在日の方達の今の立場など)、それから「沖縄戦」のこと、、、いくつかのテーマを絞って計画を立てていました。

社会科の学習にはいくつかの目標があって、もちろん「自分の課題をもって、自分で情報を集めていく」という調べ学習も大切なのですが、その当時、特に力を入れたかったのは、いわゆる「思考、判断」という部分でした。
自分たちが調べたことから、「何を思うのか」「何を考え導き出すのか」。。。
6年生で卒業も近い。
やっぱりそれができないと、6年生とは言えないよね。。。というのが、当時の私の学年でのテーマでした。

あらゆる情報から、彼らはきっと戦争の悲惨さを感じ取るだろう、、、けれど、「思考、判断」と考えたときに「感想」じゃやっぱり弱い。
もっと、出口をはっきりさせてやらないと自分の考えってもてないよね。。。。
そう思い私達が考えたのは「戦争には意味があったのか、なかったのか」というテーマでした。

約半年後、ひとりひとりの子供達がどんな風に突破口を見つけ、どんな風にこの答えを導きだすのか。

子供達と戦争について調べていくのは、辛い作業でした。
私なんかはその数ヶ月の後半、資料を本屋さんで見つけて、本箱から本を取り出す手が震えていることに気付きました。
子供達に伝えるために、もっと資料を、、、と探しつつ、いつしか自分の身体が拒否しているんだ、、、と気付くぐらい、当時の私達の学年メンバーはのめり込み、授業を構築しようとしていました。

夜も眠れなくなるくらいの恐ろしい惨劇の写真を見つけた子供達は、
「先生、私、、、何にも言葉が出ない」って言ったし、
玉砕の島を調べていた男の子の発表を聞いた子は
「もう聞きたくない!止めて!」って叫びました。

だけど、
その当時の学年主任の先生が、いつもおっしゃっていたことは
「人間は過去を見つめなければいけない。じゃないと未来なんて見えてこないんだ。」ということでした。

当時の学年、200人の6年生は、相当に長い時間をかけて、ひとりひとりが太平洋戦争について調べ続けました。
その長い学習の最後に研究会で授業をしたのが、当時まだ新卒だった20代の先生でした。

その授業では、「戦争に意味はあったのか、なかったのか、、、」ということを子供達に話し合わせるという計画をしていました。

実は、本当はこんなやり方をしてはいけないのです。
子供達の気持ちを翻弄するような、こんなやり方をしてはいけない。
まして、戦争がテーマです。

ほんというと、そのことについて半年をかけて子供達と一緒に調べ続けていた、私達教師の方が、出口を見失いました。

答えが出ないのです。
「出口をはっきりさせて、自分の意見ははっきりもたせる」というテーマにのって、子供達も調べ続けてきていたけれど、教師の私達自身が研究会の1週間くらい前になって
答えが出ない、、、ということに気付きました。

私は、子供達に決めさせてはだめなんだ。。。って、そのとき思いました。
実は、「突破口を作ろう」と言ったのも私だったのですが。
私達が彼らに伝えたいのは「こんな戦争をしちゃだめなんだ」ってことなんだ。
どんなことがあっても、やってはいけないことなんだ、、、ということを、やっぱり私達が伝えるべきなんだ。

授業というのは、決して思いつきでやってはいけないのです。
それはドラマのシナリオみたいに、確実でなければならない。
ひとつひとつの行動には、ちゃんと意味がなければならない。
だけど、私達はぎりぎりになって指導案を変えました。
誤算だったのです。たしかに。

考えても考えても、この戦争に意味があったのかなかったのかはわからない。
戦争なんて意味はないんだ。。。と思う。
決してしてはいけないことなんだと。
だけど、尊い命を失った戦争を、意味がなかったとは決して言えない。

結局、その新卒の彼は、子供達の考えを聞いた後、自分の想いを伝えました。

みんなありがとう。
一生懸命調べて、苦しい思いをしてくれてありがとう。
「戦争に意味があるのか、ないのか」追求してきたけれど、これは答えが出ないと思うんだ。。と。
ただひとつ言えることは、私達の未来に二度とあってはならないことだったんだ。。。と言うことを、彼に伝えてもらいました。

アメリカは「正義の戦争」と言います。
「日本人の洗脳を解いてあげた正義の戦争」であったと。
そのためには手段だって選ばない、原子爆弾を落としたって、それは彼らにとっての正義である。

もちろん、日本がアジアの人達にしてきたことには、数限りなく残酷なことがあり、
日本人同士がやってきた悲惨なことも多くある。

今日の番組でのゲストの奈良岡朋子さんが
「これは、私の最後の仕事です。」
そうおっしゃってご自身の体験された東京大空襲のことを語られました。

五木寛之氏が、
「なぜこんなことが、起こってしまったのか。これは、決して愚かな国民がやってきたことではない。人というのはいつだってちょっとした状況の変化で、戦争を行いそれを当たり前だ考える人間と変貌していくんです。」
とおっしゃっていました。

今、戦争を体験された世代がどんどんと少なくなっていきます。
もう10年後、20年後、、、確実にどなたもいなくなります。
そうしたら、太平洋戦争は誰が伝えていくんだろう。
この戦争は、ずっと昔のことになり、歴史の教科書に載っているだけの出来事になってしまう。
日本の教科書からは、戦争をテーマとした物語も消えていっているけれど、やっぱり伝えるべきは教師の仕事でしかなくなっていくのだろうと、今日番組を見ながら思いました。

64年目の夏だそうです。
戦争で家族を失った人も、大きなものを背負って生きてこられ
戦争で誰かを殺した人も、苦しみをずっと背負ってこられ
戦争を体験された全ての人が、今も尚苦しみ続けているということ。

8月15日
アメリカで思う「太平洋戦争」。
いつもながらに、だらだらとまとまらないまんまの香取の終戦記念日。

わずかな苦しみも知らぬまま
後に生まれ 生きる僕ら
受け継ごう その想い
声の限りに伝えるんだ。

コメント
この記事へのコメント
香取さん、私の父は双子なんです。
今でも同じ顔をして仲がいいです。「俺はあいつの考えていることはよく解る」って言います。
二人には妹がいて生まれた時から身体が弱かったそうです。そして戦争中に亡くなりました。そしてその子を追うように父のお母さんも亡くなったそうです。
私はその私にとってのおばあちゃんの事が気になって、特に自分が母親になってから父に何度か「どんな人だったの」と聞きました。でもいつも父は何も言いません。それこそ「忘れた」とも「覚えてない」とも言わないんです。何となくはぐらかすんです。
初めは意味が分かりませんでしたが、最近『もしかして、思い出したくないのかな』と思うようになりました。
まだ小学生だった父が夜中の空襲で火の中を逃げ、妹と母親を亡くし親戚の家で遠慮しながら双子の弟といつも食べ物を探してた。(毎日カエルとか食べられそうなものを探して食べてた話だけは教えてくれたことがあります。生きるための事とはいえ、幼い二人にはそれなりに楽しみもあったんでしょうね)
香取さんのお話を読んで、父の事を私もゆっくり考えることが出来てよかったです。近くに住んでいるのに何も親孝行していませんが、今日息子を迎えに行ったとき(昨日から私の実家へお泊りしています)ちょっと話をしてみようかな。あっ、普通のお話ですよ。いつも父には挨拶くらいしかしていない気が・・・つい母との話に花が咲いてしまうんですよね・・・。
2009/08/16(Sun) 07:42 | URL  | あざらし #PJcBB3Wk[ 編集]
わかります
>あざらしさん
私もそうです。
たまに電話しても、父はすぐに母に変わっちゃいますね~。
実家に戻ってもそうです。

あの時代の男性は、弱音を吐く、、、っていう方法は絶対にとらないんでしょうね。
もちろん、あの時代の日本人はみんなそうかもしれないですね。

アメリカ人は、戦争中、そんな日本がとってもこわかったようですよ。

あの番組では、奥様にも話してこられなかったことを、少しずつ当時の日本軍にいた方達が話していらっしゃいました。

私も帰国できたら、もっと話してきたいって、あざらしさんのコメント拝見していて想いました。

こちらこそ、ありがとうございました。
2009/08/16(Sun) 11:21 | URL  | 香取 #-[ 編集]
心に響く
私もこの時期になると、色々と思うことがあります。
戦争を体験した人々のつらさ、悲しさ、怒り等々・・・
思っても思ってもきっと正解ではないのかも知れません。
でも戦争を体験していない世代にとって、文献をひもとき、情報を見聞きして思うことが間接的な体験で。
百聞は一見にしかずといいますが、一見はできないので、私たちは百聞でも二百聞でもして、次の世代に受け継いでいくべきことだと思います。
だから、当時の子ども達が一生懸命調べて考えたことのインパクトはとても大切なことだと思います。
テレビで戦争のことを特集していても、興味がなければ、他のチャンネルに変えてしまうでしょう。だから、自ら課題を持って、その課題がたとえ素朴なものであっても持って、調べる考える発表するというサイクルは思考力育成にはやはりとても重要なことだと思います。
反省も多いのかも知れませんが、子ども達の反応からすれば、素晴らしい実践をされたのでしょうね。
主任の先生の話もそうです。過去を見つめなくてはならないのだと最近になってようやく思うようになりました。

どうしてもこうしても、時が過ぎれば、戦争のことは徐々に風化していき、私の孫の世代だとすっかり遠い過去のことになってしまうのでしょう。なので、たとえ勉強であってもこういう機会に受け継ぐ姿勢を養いたいものだと思っております。

長々失礼
2009/08/17(Mon) 21:01 | URL  | tensyou #y8j/9w2E[ 編集]
未だに
>tensyouさん
まぁ、こちらではお久しぶりでございます~。

今でも、当時の子供達に会うと、
「あのときの勉強、すごかったね~。」って言い合っていますし、当時の先生達ともやっぱり、その話で盛り上がります。
盛り上がるっていうか、、、。自画自賛します。爆!

その日の授業は色々な批判がありました。
課題を持たせておいて、教師が最後に自分の考えを押しつけるっていうのは、どうなのか?と。
でも、当時現役の桜ヶ○小学校の先生、、、私達の街の空襲について色々な文献を書いていらっしゃる先生が研究会に参加されていて、そして、「このことを伝えることは、私達にとって何より大事なことなんです。」と社会科研究チーム(どこにでもいそうでしょう?)を斬ってくださいました。

そして、その後、新卒ちゃんに丁寧なお手紙をくださいました。

私は、戦跡マニアなので、その後もライフワークとして「戦争」についてはことあるごとに子供達と話します。
そして、世界中の戦跡めぐりをしております。(マニア)
ワールドトレードセンターの傍に来たのも、きっと何か自分に伝えてくれているんだと思っています。

どんどん変わっていく指導内容には載っていないことも、私達は伝えるべきなんだといつも思っています。
辛いことなんですけれどね。
自分が傷つきたくなくて、腰が引いちゃうこともいっぱいあるけれど、
人間として伝えていきましょう。声の限りに。

コメントありがとうございます~。
2009/08/17(Mon) 22:08 | URL  | 香取 #-[ 編集]
考えさせられます
こんな遅くのコメントですみません!
前に翔君のプレミアムの時にコメントさせていただいた者です。
(あの時はコメントいただいたのに、それっきりですみません!)
香取さんは戦争の事、、教育の事
いつも真摯に取り組んでらして頭が下がります。

私もこの時期になると、どうしても戦争について考えてしまうのですが
今年は中居君ファンの知人に頼まれて、BS-hiでやった
中居君司会の戦争証言の番組を何日も録ったせいで
いつにも増して考えることが多かったです。

まだまだ知らなかった戦争の悲劇。
加害者となった方や、ご自分で家族を手にかけた方々、、。
怖いのはそういう人々も、日本をいつの間にか戦争に導いた人々も
こうして普通の日常を送っている私たちとなんら変わらないと言う事です。

BSも含めると5日間も続いたこの番組を、倒れそうになりながら見ながら
今この番組をやる意味、、
まず知る事が力になる、、。
いろいろ考えながら見てました。

辛い番組でしたが、、
中居君が司会をやった事で
いつもはこのての番組を避けてしまう人々が見る事になったと思います。
翔ちゃんが報道をやる意味にも通じますが
普段はそういう重い事に興味を持たない人たちに、
目を向けさせ、考えさせる力が彼らにはある。

彼らのような影響力はなくても
皆事実を知ったり伝えたりする事は出来るわけで。

香取先生のした授業も、その時の生徒さんたちの心に
きっと大事な種をまいたことでしょう。

まず知る事が力になる、、と再度思います。
それは亡くなった方々を忘れない、、。
そして自分たちの未来のために。
悲劇を無為に終わらせないために、そう思います。


どうも私もまとまりの無い文ですみません。
長々失礼しました。


2009/08/21(Fri) 17:02 | URL  | 千鳥 #-[ 編集]
伝えていくべき
>千鳥さん
コメントありがとうございます。
そして、こんなにコメントしづらいエントリに対して書いてくださって、感謝です。

中居君が5夜連続で司会をしたんですね。。。私達が見ることができたのは、きっとそのたった1日分だと思います。
こっちのテレビは、たぶんNHKさんから番組を買い取っているケーブルテレビだと思うので。

真実を受け止めるのは、身を切るような苦しみが伴います。
だけど、私達は、やっぱり自分の国の過去に目を背けてはいけないのだと思います。

なかなか責任を取らずに、、、どんどんと時の流れてくのをじっとまっているようなところがある私達の国。
私にだって、何もできませんし、事実を自分の目で見てきたわけではないです。

だけど、今、やっと少しずつ語り始めた体験者の方達の言葉に、耳を傾け、しっかり見つめる時がきているのでしょうね。

そして、その間に中居君や翔ちゃんや、、、もちろん報道のお仕事に携わっている慎吾ちゃんも、、、私達の間に立ってくれていると安心です。
良い仕事を彼ら、していますね。

「私は貝になりたい」
こっちに来てから公開された映画なので、まだ見ていません。
ぜひ、ちゃんと見たいと思います。
また、コメントしに遊びに来てくださいね。
ありがとうございます!!
2009/08/22(Sat) 06:19 | URL  | 香取 #-[ 編集]
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