日本に戻ってきた香取とたろうが嵐を想い綴る「なまけ日記」
溢れんばかりの懐古主義
2009年07月13日 (月) | 編集 |
finger5.jpg

「おや、かとりん、ずいぶんアメリカまで持ってきてたんやね?」(byみかん)

まさに、ふたを開けたら「宝箱」でした。

近頃、、、マイケルジャクソンが亡くなったことがきっかけになったのか、、、どうなのか、、、フィンガー5のことを思い出すことがいっぱいあります。

ここに遊びに来てくださる方からのメールが私の「再燃」のきっかけでもありました。

もちろん、知っています。
私はまた、「懐かしいおもちゃ箱」を開けているだけなんだって。
でもそのおもちゃ箱には、フィンガー5の思い出と一緒に、フィンガー仲間の思い出も入っていました。
小学校6年生の時、伝説のグループ、フィンガー5がデビューしました。
最年長の一夫兄ちゃんはマネージャーも務めながら、彼らをデビューに導いた18歳。
18歳ですよ!

最年少の妙ちゃんは、当時小学校5年生。
自分が今どこにいて、何をやっているのか?何を聞かれているのか。。。も、ときどきわからなくなるような、普通の優しい女の子だった。

当時沖縄はアメリカでした。そのアメリカから、アメリカの音楽だけを聴いて育ってきた5人の兄弟は、両親を説得して東京で音楽をやりたいと上京してきます。
彼らはフィンガー5として世の中に出るまでに、下積みのベイビーブラザーズ時代もあるので、まだきっと当時は全員ローティーンだったはず。。。

それを決心した5人もすごいけれど、その夢を叶えてあげようと住み慣れた沖縄を捨てて一緒に上京するご両親もすごい方達なのです。

小さいときに雑誌の中には「フィンガー5物語」なんていうマンガが載っていたりしました。ほんとにそのストーリーは、まじか?っていうほど、今思えば言葉通り「波瀾万丈」な彼らのストーリーでした。

沖縄は日本ではなくアメリカだったのです。
そして、彼らは完全に琉球政府の住民であり、アメリカナイズされた耳やリズム感をもって、、、それ以外のきっと日本の歌謡曲なんてよく知らないまんま、日本の芸能界に飛び込んできた。

「スマイル」じゃないけれど、あぁなぜかここでシンクロするけれど、彼らもしんどい人生だったと思う。
あーちゃんは「特別扱い」って言うけれど、それはきっと「差別」されたり「いじめ」にあったりしたってことなんだと思う。

私の最初のフィンガーの記憶。
彼方の記憶を呼び覚ますと、5人が楽器を弾いている。
妙ちゃんが自分の顔も隠れてしまうほどの、大きな電子オルガンみたいなのを弾いている印象がとってもつよい。

デビューした彼らのシングル「個人授業」はミリオンセラーになって、考えると当時の子供達、、、1枚500円のシングルレコードを、みんな一生懸命お小遣いを貯めて買ったんでしょうね?

今、よく思うことがあります。
当時の日本は、「ゆとり教育」なんて全くなく「詰め込み教育時代」です。高度成長期と言われ、大阪には青空はなく、四大公害病の患者さんが多く認定された時代です。
その時代に、アイドルに夢中になる。。。これはもう不良も不良です。
まして!
「平凡」や「明星」を買う。
だって、大きなフィンガーのポスターが、付録でついてくるの。
でも、私「絶対、平凡や明星はわるい本だから買っちゃ駄目」って言われていました。
そんな子供達、あの頃いっぱいいたでしょう?

今でも忘れられない「近代映画」の1冊全てがフィンガー5のあの雑誌。
売れ残りの一冊だったから、ちょっと表紙が破れてた。
だけど、あれ、、、何度読んだだろう。
何回も何回もページをめくった。今でも表紙の妙ちゃんが、その頃よく来ていたストライプのセーターだったと思う。

ビデオもない時代でした。
なのに、当時の私達は今でも「恋のダイヤル6700 」のイントロが鳴ると、ちゃんと振りを思い出す。
放課後は誰かの家に集まって「私はあーちゃん役」とか「まーちゃん役」って言って振りにあわせて踊っていました。そして、まーちゃん役は競争率が低くて、いつも香取が独占してた。

彼らがどんな人生を送るかなんて何にも思わずに、彼らはものすごい幸せな5人だって信じたまま、私達も一緒に成長していきました。

いつしか、ボーカルの晃君が変声期を迎え、その頃から彼らの人気は少しずつ下向きになっていきました。妙ちゃんにボーカルが変わっても、やっぱりファンはあーちゃんのボーイソプラノが聴きたくて、少しずつ離れていきました。
私もそのひとりでした。
いつしか興味が違う方へ向き、中学生になった私はブラスバンドに夢中になって、音楽もフォークソングからニューミュージックへ。。。変わっていきました。

あんなにテレビで見ていた彼らの姿も知らない間に見なくなり、彼らがどうなったのか、幸せなのかも考えることもなくなりました。

アラブにいるとき、2000年頃。
自分がフィンガーのアルバムのCDを持ってきているのに気付き、よく聞いていました。
フィンガーのアルバム、、、、とくにファーストはすごいのです。
だって、ほとんどがジャクソン5のカバーですから。日本語歌詞で歌っているものの、その兄弟での掛け合い、、ラップ?
そして、何度も何度もすり切れるくらいレコードで聞いた、彼らのシークレットトークというのかしら、曲と曲の間の会話、、、そんな懐かしいものも聞いていました。

やっとインターネットが日本にも広まりつつあったその頃、私はあるサイトを発見しました。
フィンガー5のことを、ずっと大切に思ってきた方のサイト。
そして、そこに集まる当時追っかけだった方達、そして当時から彼らの音楽をずっと追い続ける方達。

迷わず、香取も飛び込ませてもらいました。
そこにいらっしゃる方達は、私のことを大歓迎してくださいました。

2000年当時も続く「あーちゃん、まーちゃんとの集い」。
そんなことがほんとにあるの?
彼ら今も歌ってくれてるの?
私は、実際に彼らに会ったこともなければ、生の音楽だって聴いたことがなかった。
東京で集いをやるよ。香取さんも来る?と誘ってもらって、知らない人の中に飛び込む不安よりも、何十年も会いたかった人に会える。。。そんな想いで、何の迷いもなく東京に出かけていきました。
これが、はっきりいって、今の「遠征」に繋がる初遠征です。

そう、たぶん私は、嵐君を追っかける、、、それはきっと、フィンガー5にできなかったことをしているんだろうなって思っています。
買えなかった雑誌。
録画できなかった彼らの映像。
何度も聞きたかったのに買えなかったLP。
会いたかったのに会えなかった5人に。

初めて会ったあーちゃんとまーちゃんは、ふたりとも一般の企業でしっかりお仕事をされていた。
でも、ギター弾いてるあーちゃんの手とギターのネックが汗で光っているのを見たとき、そして「どんな立場になっても、やっぱり歌い続けたい」っていうあーちゃんの言葉を聞いたとき、
それから、
「一番辛かったのは、変声期を迎えたとき」ってあーちゃんが言ったとき。
まーちゃんが
「僕は、晃にボーカルが変わったとき。」って言ったとき、
十代の、まだ15歳にもならない小さい彼らが、一体どんな風に自分たちを大人に否定されて、そしてこの世界で、、、それでも歌ってきたのか。
そのこと思い知りました。

私達、フィンガー5の歌にあわせて踊ってるとき、すっごく幸せだった。
ポスターや雑誌の切り抜きをお友達と見せ合ってて、誰がかっこいいかとかで喧嘩したりしたことも。
そういうの今は、本当の幸せだったと思う。
そんな時代を、
同じ時代を、彼らどんなに茨の道を歩いていたのか。

大人になった彼らは、私達と同じ地下鉄に乗って移動して、つり革につかまりながら沖縄の話をしてくれたり、友達みたいにしてくれた。
ここまでの彼らの歩いてきた道はどんなだったかしら。。。

そして、当時、私はたくさんのお友達を得ました。
集いを企画してくれた東京のお友達、ずっと彼らを追い続けてきたお友達。
実は、かとりん、、、女性のお友達を作るのがずっと苦手だった。
女同士でくっついているとろくな事ない、、、みたいに思ってて、あんまりお友達もいなかったんだ。
だけど、そのときいっぱいできた。
今はもう結婚して、仕事を持ち、子育てに忙しかったり、、、色々な人生を歩いてきたファンがいっぱいあーちゃん、まーちゃんの周りに集まった。
そこは、なんだかとっても私には居心地がよくて、そこにいる人にしか解らない、私達の時代があった。
私達しか知らないことを、ずっと何十年も大切にしてきて、
そう、雑誌の切り抜きを見せ合ったあの頃のように
みんなで、一緒に歩いてきたフィンガー5のことを話した。

毎夜毎夜、毎週末、日本中に住む私達はチャットで話して、そのまんま朝を迎える。
大抵、一番東の端っこにいた香取のところから夜が明けていた。
そして、夜明けは本州に繋がっていった。
そんな時間の中で、フィンガー5の全音源をまとめたCDBOXが生まれました。
そして、30thのパーティも実現できました。

私はいつだって遠くにいたので、なんのお手伝いも協力もできなかったけれど、それでもみんなと一緒に今のフィンガーを支えている気持ちでいっぱいでした。

近頃、その頃の香取達のことを「ちゃんと見ていましたよ」って言ってくださる、若いファンの方にこのブログを通じて出会うことができました。
「ずっと、その空間に入りたくて、ずっと見ていました。」とメールをいただきました。

CDBOXを作ったり、30thのパーティをする。。色々なお金の絡む事を当時の仲間は一生懸命やってくれました。自分の生活を投げ打ってでも。
そして、お金が絡むと色々なことが発生します。「好き」だけではいられないこと、あぁ、こんなに彼らに近寄らない方が幸せだったのかも、、と思うことも。
晃君がプロダクションに所属することになり、サイトが閉じられたり、、、いつしか私達はばらばらになりました。

手元にはCDBOXが残りました。
風の便りに聞く、あーちゃんのライブのこと。
そして、一番最初に書いたけれど、私にとってやっぱり「懐かしいおもちゃ箱」であったことも確かです。
フィンガー5のあーちゃん、まーちゃんをいつまでも追い続け、彼らに新しいことや成長することを望まなかった部分もありました。
そして、私はご存じのように、、、現在進行形のジャニーズに乗り移ったわけです。爆!

そんな私達のことを、「実はずっと見ていたんです。」と言ってくださる方が現れ、みんなで(と香取は思っている。力出してなかったけれど、ごめんね。当時のみんな!)作ったCDBOXを大切に聞いてくださる方がいることを知りました。

みんなに教えてあげたいな。
あの頃、夜更けのチャットで
「ひとりで5個も買っちゃ駄目だよ!だって、4個はお蔵になるんでしょう?みんなに聞いてもらわないと意味ない!」なんて言っていて、人の気持ちを傷つけたりしていました。
夜更けのライブで、ちょっとしたもめ事もあったっけな。
だけど、大笑いすることもいっぱいいっぱいあった。
あの頃、がんばってたみんな。
日本中にいる、フィンガー5を愛して止まなかった私の友達。
みんなにこのこと伝えたかったよ。

すごく嬉しかったんだ。
私達が、真夜中に
話し合ってたあの会話を、「ありがとう」っていう気持ちで見ててくださった方がいたってこと。
そして、やっぱりあのCDBOXは宝物だったってこと。

今、私にはたくさんの嵐友さんがいます。
私がこうやって、たくさんの嵐友さんを得ることができたのも、きっと当時のことがあったからだと思うんだ。
「ファン仲間」ってなんだかいいな。。。って思える香取になれたあの時代。

「答えは風の中」
そんな歌あったよね?
きっといつだってそうなんだ。

小さい頃、部屋のドアに貼っていた「学園天国」の衣装のポスター。
5人が重なるように並んで映ってた、そのまーちゃんの笑顔が大好きで、
毎朝、「いってきま~す」って言って学校に行った。

そして、同級生のあーちゃんのこと「生意気なやつ。」って思ってた子供の香取。

大人になってまた出会って、
ちょっと友達みたいに話もできた。
それからたくさんの仲間ができて
また何年も経った今。
新しい出会いをもらう。

そんなハッピーエンドが待っているなんて
あの日「いってきま~す」って言って出かけた私は知らなかったし、きっと混沌とした十代を自分なりにもがいて泳いでいたと思う。
そしてポスターの中の5人も。

今、嵐が大好き。
彼らの幸せをいつだって願っている。
そして、いつの日か
こんなハッピーエンドが来るのかな?ってときどきぼんやり考える。
だけど、私、森光子さんみたいになってんのかな。
いやいや、、、そこ目指さないとね。

ありがとう。
小さかったフィンガー5の5人。
それから、今もきっと日本のどこかで笑っててよ。
一夫兄ちゃん、光男兄ちゃん、まーちゃん、あーちゃん、それから妙ちゃん。

コメント
この記事へのコメント
なつかしい~(^^)
私、長い間あのアルバムの曲が「ジャクソン5」
のカバーだったなんて知らなかったの。
そのころ
洋曲なんて聞かなかったから(笑)

あー懐かしい。久しぶりに聞きたくなったわ!
フィンガー5。 

2009/07/13(Mon) 08:59 | URL  | まこりん #HfMzn2gY[ 編集]
おお~同年代
>まこりん
そうやな。。。デビューアルバムのクオリティがめっちゃ高かったと思うねん。セカンドも好きだった。
今思えば、最先端のポップス。
アメリカ音楽が踏襲されてたんだよね?あのアルバム。

それを小学生に歌わせるってすごいことだよね?

聞きたくなったやろ?
私は、あーちゃんのgo away little girl(セカンドだけど)が好きで、オズモンドブラザーズのアルバムまで買ったわ。

しばし、懐古主義もいいで。
頭痛、だいじょうぶ?
2009/07/13(Mon) 09:57 | URL  | 香取 #-[ 編集]
大切な思い出話、ありがとうございました。

わたしは・・・残念なことに、知りません、フィンガー5。
名前くらいは聞いたことがあるくらいです・・・。
曲も、おそらく、有名なのなら、聴いたことある曲なのでしょうが、曲名だけだとピンとは来ません。

が。
気持ちは伝わりました。
わたしは、嵐くんたちを好きになるまで、あんまりアイドルとか俳優とかファンになったことがなかったんですけど、でも幼稚園のとき、光Genjiが好きで、幼稚園で男の子達がまねをして踊るのを、女の子の友達と、きゃーきゃー言いながら観てたのを思い出しました。

いいですよね、そーゆー思い出があるのって。
いつでも懐かしく思い出せて。

わたしは、今も昔も、嵐くんのみなんですが、それでもJr.時代の雑誌の切抜きだったり、バラエティのビデオだったりを観ながら、いろいろ当時のことを思い出したりして、泣きたくなることが多々あります。

将来・・・・50とか60になって、それでもまだ、嵐くんを好きって言いながら、10周年の嵐くんのことを思い出したりしたいなと(笑)。
心底思います(笑)。
2009/07/13(Mon) 10:51 | URL  | まさき #-[ 編集]
君~~~。。。生まれてないでしょう。
>まさきちゃん
こう考えると、、、人生って恐ろしいですね。
私が、フィンガー5にきゃーきゃー言っていた頃は、まさきちゃんも生まれていなかったと、、、もちろん、嵐メンもね。爆!

5人のマジックというか、、、私、5人のグループすごく好きなんですよ。
嵐もSMAPもそうだけれど、懐かしいところではバックストリートボーイズも、インシンクも。
ボーイゾーンも。
なんていうか、5人ってすごくいいバランスのような気がします。

きっといつか、
私達が嵐メンと肩を並べて
地下鉄に乗る日が、、、来たりしてね。
そんな未来は、今考えられないけれど、、、
実はフィンガー5は今の嵐なんかよりもっともっと、すごかったんだよ。
ただ、若すぎたよね。事務所が小さすぎた。
十代のうちに花開いて、そして本当にやりたい音楽をできないまま、第一線を退いた人達。
時代も時代でした。スーパーキッズって言われた彼らに、時代がついて行けなかったの。
だって、5人とも日本人の感覚からほど遠い音楽性をもっていたから。
意外とコントも上手でした。爆!
彼ら冠番組ももっていたのね。
もう一度、テレビの前に座って見たいな~。

YouTubeにたくさん映像が上がってきているようです。もし興味おありでしたら、ちょっと検索してみてください。
超めんこいから。爆!
2009/07/13(Mon) 11:55 | URL  | 香取 #-[ 編集]
なんと言ったらよいか。
ありがとうございます。泣いてます。。
誰かが純粋な気持ちで一生懸命に走っている姿を外から見る時、
神聖で、とても触れられないものです。
皆さま、キラキラしていましたよ。
ここにある宝箱は結晶なのですね。

今私の机の横にはヒロミゴーと晃君と妙ちゃんが表紙になってる平凡があります。
ヤフオクで落札した↑
なんとキャッチーでおしゃれキッズなことでしょうね。
服の趣味も音楽の方向性も彼らに思いっきり影響を受けて生きてきました。
ある時、小西さんがリスペクトしているアーティストというので名前が挙がっていて、
そこからちょっとひねりの効いた古典扱いされ始めて、小西さんリミックスの
CDが出来たりもして。だけど過去でしかありませんでした。
私はいつもここではないどこかを目指して、今を生きる事が出来ない、
なんでやろうって思ってました。
惹かれるものは昔のものばかりで。
レコードプレーヤーなんかもうどこにもありませんでしたが、
母にねだって中古屋さんで見つけたレコード買ってもらって、
一度だけクリスマスのレコード聴けたんです。
「マリークリスマス」って。
BOXでマリークリスマスを聴けた時、しみじみと感謝の気持ちで
いっぱいになったのです。
あの時、世代も背景も共有するものが何もなく、そっと見ているだけしか
なかった私ですが、
ここにきて少しずつ新しい展開が訪れ、意味が分かってきた気がします。
お友達と、なんで私ら生まれた時代間違えたんやろうって。
それもこれも何か理由があるのかも。答えは風の中ですね?!
香取さん、ありがとうございました。
これからも宜しくお願い致しますね!
2009/07/13(Mon) 15:18 | URL  | ネロリ #sBqaD07M[ 編集]
ごめんなさい、続けてコメント入れちゃいます。
最近晃さんのインタビューで都倉先生から「童謡のように歌って」って
言われた事が書いてました。
それからマイケルの追悼特集でもインタビューされてました。
嘘じゃないかと思ったと。

後追いだからそう感じるのかもしれませんが、やはり70年代だったからこその
F5ではないかという気もします。様々な要因がうまく合致して
奇跡の数年間を生んだと思います。
コスプレっぽい衣装や振り付けも。ファッションも。5人で並んで歌うスタイルも。

香取さん、光子みたいな人生って、そりゃ最高の人生ってことではないですか。
あんな幸せな89才(で合ってます?)おりませんて♪
2009/07/13(Mon) 15:36 | URL  | ネロリ #sBqaD07M[ 編集]
JOY TO THE WORLD!
>ネロリさん
コメント2連発ありがとう。

私達がフィンガー5を思い出すのは、
いえ、私がフィンガー5を思い出すのは。

たぶん、私が自分の小学6年生の時が、人生でとっても好きな時代であって、そして、まるでクラスメートだったような気持ちで彼らを思うからです。
決して、当時の私達が
「フィンガー5の音楽は、クォリティが高いぜ。」なんて思っていたりしない。
「晃かっこいいよね。」「うっそ=、まーちゃんの方が絶対かっこいい。」「うそ~正男か?晃やて~!」って喧嘩をし、
「私、妙ちゃんに生まれたかったな。」
女の子はみんなそう思っていました。

ネロリさんもご存じのPさんが言っていました。
「小さいときに、光男兄ちゃんがしゃがんで妙ちゃんの顔をのぞき込んでる写真を見た。それが忘れられない。」って。

私達が思い出すフィンガー5は、東村山の狭いお家に住んでいて、5人がごちゃごちゃになって寝てる風景。
スーパーキッズっていうよりも、そんな風景です。
5人の中で、どんなに仕事が遅くなっても家に帰ってまず宿題をする光男兄ちゃんと妙子ちゃん。
仕事で早引きするときは、晃君も妙子ちゃんも校門からでないで塀をよじ登って学校から出てくる、、、ってマネージャーさんのインタビュー記事。
ミリオンセラーのパーティへ向かうラッシュの電車の中で、何枚ものサイン色紙を立って書いていたというお兄ちゃん達。(その日は学校から直接会場へ向かったそうです。)

そんなことばっかりです。
同じ時代に生まれていても、私が見てたのは「音楽」ではあまりなく、そんなどこにでもいるような彼らでした。

当時追っかけだったお友達が、よく言います。
「お家の周りにファンが集まると近所に迷惑になるから、よく5人が出てきて、傍の公園に来てくれて、みんなで野球やったよね~。」って。

ネロリさんは「どうして私達は、時代を間違えたのか。」っておっしゃるけれど、結局、、、晃君と同い年に生まれた私は、こんなことしか見てなかったよ。爆!

だけど、そんな彼らが好きだったんだ。
それから、まーちゃんの「東京での恋」。
あんな詩が書ける小学生は、すごいって思っていました。

いずれにしても、また私達はあの宝箱を開けて
そして、やっぱり閉じるのです。
そして、その宝箱の中に、フィンガーの思い出と一緒に、私は「お友達との思い出」も今回いっぱい見つけました。宝箱のなかの、宝が増えているなんて、魔法だ!
♪バカラ~バカラ~♪

いつか、一緒にライブ行きましょう!
2009/07/13(Mon) 20:34 | URL  | 香取 #-[ 編集]
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